雑記 思い出

第46回NHK創作テレビドラマ大賞一次審査の結果を見た!

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NHK創作の一次審査の結果が出たよー


 

NHK創作、結果出るの早っ!!

 

今年はコロナもあるし審査結果の発表は多少長引くかと思っていたのだけど、そんなことはなかったね。

例年通りのスピード発表は流石NHK。

で、ドキドキで結果を見る。

……。

 

飛翔!!

 

通過してたぞおおお!!

うおおおおおおおおおおお!!!

やったあああああああああああああ!!!

 

応募後に作品を読んでもらったシナリオ仲間から「ふろゆさんは通過するでしょ!」と言われ続け、

僕自身も

 

『今回は心で描けたぜ(慢心)』

 

と調子に乗っていたこともあって、一次で落ちていたらどうしよう……

そんな落ちるショックより別の冷や汗プレッシャーに気持ちが入っていたのは裏話。

 

ふろゆ「心で描いたのは間違いない。でも、それと結果はまた別の話なのだよ」

 

この言い訳を使う機会がなくて良かった。小物臭が過ぎる。

このブログでも「描き方を変えた」、「見えていた世界が変わった」、

みたいな思わせぶりを書いていたから今回ばかりは陥没したくなかった。

本当に良かった。

 

と、最近の記事でいつも書いていることなのだけど、描き方を変えた話を少しだけする。

 

2021年6月の某日。

 

僕は突然覚醒した。

 

5年間描き続けてきたものを全て投げ捨てて、一から見つめ直し創作論の骨格を組み替えることにした。

ここ一ヶ月の快進撃の背景には、この変化が大きく関わっている。(そう勝手に僕は思っている)

それは最近作品を読んでくれた方々にも伝わっていて、もちろんネガティブな感想もあるけれど、概ね好意的なものが多かったように思える。

「以前落ちた作品とは雲泥の差だね」なんて言われた時はゲロを吐きそうになった。

でも、雲泥の差だなあと自分でも思う。

何が面白くて何が面白くないか。そういった線引き、軸が自分の中である程度出来た。

この覚醒はシナリオ関係で交流をしてくださった方々のおかげだ。結構真面目に。

 

色んな人の感性に触れることが出来た

 

その人の作品の良さに気づけた

 

自作を通して自分の姿勢を見つめ直す機会を頂けた

 

どれもに感謝しかない。

独りで書いていたら今日の結果はなかった。

 

いつもは一次審査を通過しても、「ラッキー!審査員サンキュー!!」としか思わなかったけれど、今回でやっと何か手応えを掴めた。

後出しで手応えを語るのは格好悪いから先に書いておく。

 

初めて実力で審査を通過した!!

 

そんな実感がある。

今回は運じゃない。

二次だって十分狙える。

決して一次通過のイキリじゃないよ。

一次通過ならこれまでだってたまーにしているし。

こんなこと書いて普通に次で落ちたら失笑ものだが。

 

5年間コンクールに応募し続けてきた僕が思うに、一次審査は運での通過がある。

でもここで言う運とは決して、下読み審査員の好みがどうこうという話ではない。

前回の記事で書いたが『審査員の目』は皆さんの想像以上に鋭い。

僕の経験則で申し訳ないが、その目はプロレベルと言って良いと思う。

ここで言う『運』とは自覚のない自分自身の実力のことを指す。

作品が意図せず形になっていた

具体的にはこの事象のことだ。

これが脚本家志望には往々にしてある。

ドラマを見てきた経験則からか、描きたいシーンをただ描いたのか、

その過程は作品によって違うからわからないけれど、完成稿で何となくドラマが出来ている。

そういうことって結構ある。

「形」になった作品が生まれるかどうか。

それが『運』なのだ。

だって無意識に描いているんだもの。

これが脚本家志望の方々を長年悩ませる種だったりもして、ドラマが評価され一次審査を通ったことで、実力が身についたんだと自信がつく。

でも実際はその年の運が良かっただけ。十中八九で後に迷いの森へと誘われる。

いや、軒並み二次審査や三次審査で落とされるから十中八九どころではないな。ほぼ100パーセントで迷いの森への直行便だ。

ちなみになぜ二次審査三次審査で落ちてしまうかと言うと、『ちゃんと形を作ってきた作品』が隣に並んでいるからだ。

余談だが運で傑作を出す人も超低確率でいると思う。それはまた別の話。

 

僕も昔、初めて描いたシナリオがヤンシナの一次を通過した。

書式はめちゃくちゃで起承転結も成り立っていないそんな作品。

それでも通過した。

「よし、これなら体裁を整えればプロになれるぞ!!」

と、翌年に猛勉強の末に出した自信作は綺麗に一次落ちをした。

当時は意味が分からなかった。

審査員の目は節穴だと思ったし、コンクールの一次審査はいい加減なものだと本気で呪った。

でも今は分かる。

これは審査が不安定だからではなかった。

作品を描いた張本人。脚本家が不安定だった。それだけのことだった。

一次審査には『運』がある

この言葉は責任をどちらに課すかで成長を促すことも止めることもあるから面白い。

僕はどちらも経験済みだ。

 

 

今回、確信を持って「通った!」と言えたことは自分の中では大きな前進だったように思う。

たかが一次審査と言われるかもしれないけれど、一次審査だってすごい。

僕なんか5年やってきてNHK創作の一次通過は初めてだ。大躍進。焼き肉食う。

アクトジャム最終、NHK創作一次と朗報が続き、フワフワと浮かんでいたパズルがカッチリとはまった。

ここで天狗にならずに頑張っていけば、あとは結果が付いてくるだけの気がする。

そう信じてこれからも頑張っていきたい。

 

 

一次審査通過した方々、おめでとうございます!!

 

 

落ちた方は残念でした。

でも落ちて凹んでシナリオと向き合っていくことは、創作者にとって必要な経験に思います。

僕もいっぱい落ちて悩み続けてきたから気持ちは分かります。(過去の落選記事読めば伝わると思う)

くっそ辛いよな……。泣


 

最近、アクトジャムやNHK創作と快進撃が続いている。

残っている審査途中の作品だとつんく♂の公募も期待が出来る。

ちなみにヤンシナは覚醒前に描いた作品だから全く期待していない。

上振れすればラッキー。つまり『運』である。多分落ちた。

 

覚醒前と後でシナリオとの向き合い方が大きく変わった。

この5年間はここに辿り着けるかどうかだったんだろうな。

 

ちなみにこれからの公募は

 

大阪シナセンの30枚ラブストーリー

 

城戸賞

 

恵那峡映画祭

 

への参加を考えている。

南のシナリオ大賞も気になっていたけれど、ラジオドラマを普段聞かない男には無理だと察した。

どうやら映像が頭に浮かばないと僕はドラマを描けないらしい。

これ特殊なんかな? 何も思い浮かばねえ……。

 

でも南のシナリオ抜きにしたって僕にしてはハイペース。

自分を律して描いていきたい。

今の感覚を身に着けてもっともっと創作魂を燃やしていく。

 

ちなみに選考の結果はどのコンクールも楽しみにしていない。

落ちた時に凹みたくないから。

 

通った喜び<落ちた悲しみ

 

これってほとんどの人がそうだと思う。

だから「結果まだかなー」と言っている間に次作を描いていた方が精神的に楽。

圧倒的多数が涙するのがコンクールなんだもん。

落ちた時の保険と思えば筆も進む。笑

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