雑記

プロの脚本家志望の僕だけど、「書くことが好きではない」

投稿日:2018年7月22日

今日は個人的な「マインド」のお話。

プロの脚本家になるまでは大変な道のりです。

僕なんか一年間奮闘して、その結果がヤンシナ一次落ちですからね。つらひ。

これから脚本家を目指す人はそこを覚悟して目指した方が良いです。頑張ったからその分、結果が出る世界ではないのです。

かと言ってやらなきゃ何もできない世界なので、やるしかないです。

さらにこの道はプロになったらおしまいではなく、なってからがもっと大変な道のりです。

それでも僕は書き続けてプロを目指していきたい!

そう思ったので今回はプロを目指していく上での僕を支えるモチベーションみたいなことを書いていけたらなぁと思います。

こういう記事を一度書いていた方が良いかなと必要性を感じた。というのが本音です。僕の自己紹介が浅かった。

記事に起こすことで立ち位置を明確にしたかったんです。


 

夢を目指す、つまりはプロの脚本家になると豪語していた僕ですが、

最近はヤンシナ一次落ちという傷心のこともあって、シナリオから離れていました。

執筆期間を長く取って、最高傑作を出してからの一次落ち。

一次審査の結果を見た時、

脚本に費やしてきた一年間、そして自分自身。全てを否定されたような気分でした。

こんな状態で書き続けても良いものは書けない。

そう思ってシナリオからすっぱりと離れてみたんです。

すると、しばらくしてあることに気づきました。

脚本どころかブログに書くネタさえも全く浮かんでこない。

指南書をいっぱい読んで、毎日毎日シナリオのことばかり考えて、

以前はポンポンとアイデアが浮かんでは書き溜めていたりしたんですけど、ここまで生活が変わっちゃうんだなって自分でも驚きの日々でした。

と同時に、

ああ、本当にシナリオ一筋の1年間だったんだ!

と実感する良いキッカケになりました。

かといって、だからこれから何かをどうこうできるわけじゃないんですけどね。

実際、何もしていませんでした。

何をしていたかを強いて言うなら、

シナリオスクールに通えば何か新しい方向性が見えてくるんじゃないかって、淡い期待を胸にそちらの準備を並行して行っていました。

 

しばらく色々考えて分かったことは結局、ただ闇雲に書き進めるしかない、自分のために書き続けるしかないんだということのみ。

プロになれる確実な方法なんかはありませんし、当然といえば当然なんですけどね。

プロの脚本家を目指すという不安定な道だからこそ、手綱が欲しいというか、道標というか、そういうプロへの切符のようなものを持っていたい。

シナリオを離れていたのは、プロになれない現実に直面して出た自分の甘えや弱さからだったんだと思います。

 

こんな言い訳ばかり書いていると、

ウダウダ言ってないで書けよ!スクール行かなくても書けるだろ?だからとりあえず書け!1日1作品!

 

そんな意見が飛んできそうですが如何せん、

 

僕は書くことが好きではない(どーん)

 

ああ、すごいことを公言してしまった。

これは致命的。

僕の脚本家を目指す上での最大のウィークポイントと言ってもいい。

”書くことが好きではない”

これを見て、

「うわ、まじかよ。ふろゆはプロ無理だわ!」

そう思った貴方は正常です。

現に僕の周りの脚本家志望の人はみんな、書くことが好きな人ばかりです。

当の僕自身、

(書くことが好きではない)こんな自分が脚本家を目指していて良いのだろうか、他の脚本家志望の人たちに失礼じゃなかろうか、そもそも目指す資格さえあるのだろうか、

と言う考えが無きにしも非ずです。

それでも試行錯誤しながら、泥水を啜ってでもプロになりたい。

そんなちょっと変わった情熱はあるんですよね。

 

僕は書くことが好きではない。

正確には嫌いと言うわけではないんです。

むしろどちらかと言えば好き。

ただ、「よし、空き時間出来たから書くかー」と言えるほどに好きではないんです。

趣味:執筆

そう言えたらどれだけ良いだろうか。ちなみに僕の趣味は映画観賞とゲーム。あとは美味しいから揚げの作り方の研究です。

毎日書ける人が脚本家志望の人たちでいっぱいいるけれど、本気ですごいなと思って見ています。

Twitterを見ているとそんな人たちがごまんといて、陰で羨ましく思い、憧れ、僻んでいます。

なぜなら僕がそんな生活を送ったらきつすぎていつか血を吐いてしまうから。

こうやって書いてみるとやっぱり向いていないのかもしれませんね。

それでいて何でプロの脚本家を目指しているのか……。

 

作りたいんですよ。最高の作品を。無意味な倒置法。

 

最高の作品を作りたい。それを形にしてみんなに届けたい。

映像でテレビを通して全国中に!

この情熱こそが僕の夢叶ったなら死んでもいい。

この想いは誰にも負けていない自信があります。

ぶっちゃけて言うとこのモチベーション以外にシナリオライターとして戦える武器が僕にはないです。

プロになれる特別な才能?なんてのは元より信じていませんし、あったとしても僕が持っているとも思えません。

だから本当にこの想いだけ。

この動機ならプロデューサー志望の方が向いてる?とも思ったのだけど、自分の特異な境遇だったり、そこから得た価値観や経験、その他これから話すこと等々を踏まえると「脚本家が一番良い」って答えに行き着いたんですよね。

何か神様にでも引っ張られたような、運命論を感じる、そんな色々があって脚本家を目指そうって決めました。

僕は完全なる無神論者なんですけどね。たまに頼る。

……。

まとめてしまえばプロの脚本家という立場から最高の作品を作りたいんだよ僕ァ!

 

ここで言う最高の作品は何なのかと言うと、

作品に関わった全ての人たちが「最高の作品」そう想える作品のこと。

視聴者ウケは勿論、役者さん、スタッフさん、もちろん僕自身も。

関わった人、皆が須く好きで胸の張れる作品。

いつかそんな作品が作りたい。

こんな青臭さ満点の発言をしていて、

現場を舐めてんじゃねーぞってプロの人たちに怒られることを覚悟した上で、

この夢の実現についてこれから真剣に考え、書いていきたいと思います。

 

夢の実現のためには皆の意思だったり意見だったりのベクトルをしっかりと統一した上で作っていく必要があると思っています。

分業でありながらの不満なしのクリエイティブ作業。

素敵じゃないですか。残業ゼロのお仕事みたいな謳い文句ですよね。嘘っぱちです。

小さな演劇サークルで活動していた時の経験なんですけど、これを真に実現できたらかなり良いものができたんです。

お客さんからも好評で、僕や役者さん、裏方さん全ての人たちが満足行く仕上がりでした。

僕は当時、監督と脚本をしていたんですけど、出来た作品を舞台で見たときの感動は今でも忘れられません。

役者さんは活き活きしていて、いつも以上の演技が出来ていたと思うし、

裏方さんの音響や照明諸々のタイミングもばっちりで、舞台の全てがキラキラして見えました。

その衝撃は、何だろうな……言葉じゃ表せないくらいのものです。

だから、公演が全て終わった後はすごく名残惜しかった。

監督、脚本家としての上手に擦り合わせた時の感動と出来栄え、それを実際に見た時の手の震え、達成感。

それをテレビという大きな括り、そこにあるプロフェッショナルな環境、チームでやりたい。

【脚本家という、いち視聴者から大舞台を見る景色を堪能したい】

言い換えるならば僕の夢は最高の視聴者になることなのかもしれません。

脚本家を目指した動機って悪く言えばそういう自分勝手な欲求からなんです。

……。

まぁね。分かっているよ。

プロの世界では

実現がすごく難しいということを。

 

もし仮に全ての人の考えをまとめたならば、作品はどことなく中途半端になりそうな感じがします。

どうしても平均的になってしまいますからね。良い意味で尖っていても丸くなりそうです。

さらにプロになると商業脚本なので当然のように経済効果的な側面も考えなければいけません。

なので実際にやるとしたら相当難しい、というより不可能です。

ただ、難しいからこそそこに全力でチャレンジしたい。

プロになってからの脚本家の打ち合わせの実態は、聞くところでは基本的には自由が効かない等のネガティブな意見が多いですが、そういういざこざの折り合いだったり折衷案だったり、そういうのを一番上手に作品に組み込むことができるのが「脚本家」という立場なんじゃないかって僕は思っています。

だから自由が効かないのは至極当然なんです。

監督さんでもプロデューサーさんでも、役者さんでもありません。

脚本家だからできることなんです。

脚本家は設計図書きと言われるくらいですからね。改変作業で一番幅が利くのはやっぱりここなんじゃないかと。

良い作品作りにおいては下手したら脚本家に最も必要なことは「書けること」よりこれなのかもしれません。

ちなみに僕はそう思っています。むしろ、そこにこそやりがいがあると思っています。

ただ実際に全てを総括することはほぼ不可能です。

だから自分という指針を持ってしっかりと"面白い"と思う方向に舵を切れる脚本家になっていたい。

もちろん立場上、"書く"ことくらいしか出来ないのかもしれませんが、"それでも"です。

その先に、自分の作るべき最高の作品があると僕は信じているんです。

そういう背景もあって面白さの方向性を見失っている今がすごく嫌いなんですよね。

 

改編作業だったりで脚本家さんには技術が求められます。

監督さんはそれに合わせた柔軟な対応が求められます。

普通ならこの段階で不満がいくつか出てくると思うんです。

だから映像制作は今までもこれからも分業制が主流なんです。

それに、改編が嫌いな脚本家さんは聞くとこではいっぱいいます。

脚本家志望の人でさえ自分の作品をボロクソ言われて怒る人はいっぱいいますからね。堪えて我慢する人もいるけど。

監督さんだって自分のやり方にどうこう言われると怒る人も多いんじゃないかな。

でも僕(が脚本家)なら上手くできるっ!よく心配されるけど。

僕は面白さにこだわりこそあれど、面白いものには貪欲で従順です。

だから"最高の作品"が作れるならどんな人のどんな意見だって参考にするし、対応して面白くしてみせる。

それに、その方が良い作品が出来ることを経験として知っている。

だから書きたいし、書かせてほしい。

こんな傲慢な考えと意味不明な自信を持っていたりするんですよね。

ああ、自分で言っていて恥ずかしい。

何度も言いますが僕、ヤンシナ一次落ちなんで軽く流してもらって結構です。

 

実は以前、某映像制作会社さん(Tv向けです)のプロデューサーさんと話す機会があったんです。

その時、上に書いたような映像制作って実際は現場ではどうなんですか?と質問したことがあるんです。

「役者さんの意見って参考にしないんですか?良いものができそうじゃないですか」

とかそんな感じで聞いたかな。

その時の回答が、

「そんなんじゃ良い作品は出来っこないよ。監督や脚本家に意見を言うような役者にそもそも良い役者なんていない。良い役者ってのは稽古で魅せるからね」

そう返されました。心なしか嘲笑されていたような。「これだから素人は」そんな心の声が聞こえてきて……以下略。

これはつまりですね。

自分のやろうとしていることを真っ向からバッサリと否定されてしまったわけです。

面と向かってガッツリ否定してくるくらいですから、相当僕の考えが現場とかけ離れていたんだと思います。

「あー確かに」

この意見は理に適っていると思います。僕も納得した節はあるんです。実際そうやって作品は作られているんでしょう。

四の五の言わずに稽古でビシッと決める。格好良いじゃないですか。

それも一つの役者の形だと思います。ちょっと寡黙かな。

でもね。

この話を聞いて、それって役者さんが文句を垂れるとかそのレベルを前提とした話なのかなって、僕はそう捉えちゃって……。

プロデューサーさんの言う通り、そういう役者さんは良い役者さんではないとは思うんです。

毒を吐くとかそういう感じの役者さん。

他に思いつく言葉が浮かばなくて、英語で悪いんだけどいわゆるToxicってやつ。

無理矢理日本語にすれば、自己中で無責任で何でも人のせいにするような意見ばかり言う人。

それは確かに駄目な役者さんです。そんな人がいたんじゃ現場のレベルは低いと思う。

ただ、そういう反論が出るってことは、今の現場環境はToxic(っぽいの)を吐く役者を排除しただけの排他的な、それにちょっと毛が生えた程度の現場ってことなんじゃないんですかね。

ああ、怒られそう。

「意見を言っちゃいけない」恐らく干されるからとかそういう理由からですよね。

こんな慣習がもし現場に本当にあるのなら、あるはずの良い意見はそもそも出ないか握り潰されているんじゃないか。

そういう仮説が立ったんです。

僕の話している夢はそのずっと先の話です。

役者さんの意見が本当に作品のことを思っている意見だったなら、結果は全く違ってくると思うんですよね。

確実に良い方向に進むと思うんです。

なぜなら役者さんの意見って映像制作(脚本家含め)において、すごく大事だと思うからです。そう思うの僕だけかな?

脚本家が役者の意見に頼ることは他力本願で脚本家の実力不足なんじゃないかと言う人もいるでしょう。

ですが、僕は脚本家の力には限界があると思っています。脚本家も所詮一人の人です。

本当に本当に真の映像作品を作るべく脚本を極めるなら、脚本家は全ての知識を網羅しないといけないと僕は思っていて、

それは監督さんだったり演出さんだったり役者さん、プロデューサーさんも含め、

それらの知識をプロフェッショナルまで高めなきゃいけないと思うんですよ。

それを一人で学ぶには僕らの寿命は圧倒的に足りないんです。

これはプロの脚本家になることでさえ(今までの経験上)こんなに難しいことなんですから。

だからこそプロの現場では分業して皆で協力?して作るんです。

そんな中で、三人寄れば文殊の知恵ってことわざがあるけれど、僕はそれを可能な限り実現したい。

某映像制作会社さんのプロデューサーさんの話はモットモだし、その方法が現状、一番簡単です。

意見を言う役者は悪い役者。

そう一括りにまとめてしまえば制作は捗ります。

実際Toxic発言ばかりの悪い役者はいますからね。

僕も演劇をやっていた時に同じような経験があります。SNSで悪口を書かれ、散々嫌な思いをしました。

だからこそ、業界では今の体制が「当たり前のように当然で、常識」なのかもしれません。

僕の持っている考えや夢はプロの現場では異端で、映像制作、プロの脚本家には向いていないのかもしれないです。

プロデューサーさんの話を聞いて間接的にですが、直接そう言われた気がしたんです。嘲笑われたしなぁちくしょう。

だからかなぁ。

余計に成し遂げたいって思いが強くなっちゃったんですよね。

僕の目指す作品ってやつは、現段階では日本の現場じゃ実現には程遠い代物かもしれません。

だからこそそこに、その可能性に挑戦したい。寿命を投じたい。

未知への挑戦。心がくすぐられるじゃないですか。

当たり前を当たり前じゃなくする。そんな一石を現場に投げ込んでいきたいんです。

その実現までに10年、20年経ってもいい。

作品をみんなで作れたら最高に良いものができるんだって、生涯を賭けて証明する。

実現するためには大きな変化は必要だろうし、僕一人の人生じゃどうしようもできないことかもしれないから本当にただの挑戦だし、いわばギャンブルです。

プロになっても最初は恐らく"他の人よりちょっと寛容な脚本家"くらいのスタートになると思います。

その一歩からでいい。

そこから少しずつ、少しずつ、結果を出していつか常識を常識じゃなくできたらいいなって思っています。

「コイツ相当面倒なやつだな」ってこの記事を読んで思う人が出てくるかもしれません。

いや、確実に出てきます。

そこが良いんですよ。

面倒だと思えることほど人ってやりませんから。

新しい可能性ってそういうところにいつも落ちているものです。

 

だからまずはプロになりたい。

これが僕がシナリオを書くモチベーションで動機です。

多くの脚本家志望の人とはスタート地点が違うからこういう答えになったのかもしれません。

"文字を書くことが好きではない"

こんなプロの脚本家志望としては笑われるような変わった特徴を持っているからこそ辿り着いた夢。

そんな自分だからこそ、「いつか実現できる」そう思って頑張っていきます。

 

書きたいから書くんじゃないんです。

好きなものを仕事にできる人は少ないって言うけれど、僕の場合は脚本家になっても多分そう。

特別、脚本家になった自分を誇りたいわけでもないし、好きなことを延々とやっていたいわけでもない。

ただ「最高の作品」を作ってみんなに提供したい。そこから見える景色を見たいし体感したい。

そんな夢というと聞こえは良いですが、自己満足のために書いています。

人生、死んでしまえば自己満足のみです。だから自分勝手に目指しています。

 

書くことは好きではない。かといって別に嫌いでもない。

夢の実現のために書くんです。

良くも悪くも、それだけなんですよね。

 


 

正直、自分でこの記事を書いていて、脚本家に向いてないんじゃないかって感じています。

でも、頭がおかしい人が一人くらい脚本家を目指していても良いんじゃないかなって。

ブログを書いている理由に、

こういうバカも、脚本家を目指しているんだよ。と発信している側面もあるんです。

「金も学も技術もない」人間だとあえて公言しているのは、プロの脚本家を必死になって目指しているそんなシンデレラストーリーが現実で通用してほしいって願いがあるのかもしれませんね。

ブログ上くらいではできる風の人間でいたいって気持ちはあるんですけどね。

 

長文駄文、読んでいただきありがとうございました。

こういうことを書いていてなんですけど、

チャンスが来なければいつか諦めなければいけないのかな……

と、考えると胸が苦しくなってしまいますね。

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