脚本猫柳の勉強会コミュニティを発足します!!
と、そんな計画を立てていた。
結論から話します。
ボツになりました。
実は前々から、NHK創作シナリオに向けたシナリオ勉強コミュニティを作ろうと企んでいた。
NHK創作シナリオ限定で人を集めて、そこで応募シナリオの交換や批評をし合う。
そんな意義のある会だ。
でも、やめた。
なぜか。
脚本家には2タイプいることを悟ったからだ。
この会が仮に存在していたとしたら、一番の魅力は何なのだろうか?
このブログの読者には記事を読む前にそれを考えてもらいたい。
……。
大枠で分けるなら2タイプに分かれる。
まず一つ目。
シナリオ批評の中で自分のシナリオの弱点を客観的に知れること
そこに会の意義を求めるタイプ。
批評の中で得た知識や経験、客観的な意見、それらを自作のシナリオに活かすことが出来る。
つまり、自分の脚本家としての腕を上げたい、作品をもっと面白くしたい。
そういった思いからこの会に参加しようと思うのである。
これはストイックタイプと名付けよう。
そしてもう一方は、
シナリオを交換をすることで自分のシナリオの出来に充足感を得れること
に意義を置くタイプである。
シナリオを書く時は誰だって孤独だ。
書いている最中は「このシナリオ面白いんか?」という不安に皆が苛まれる。
そんな時、他の脚本家志望の人とシナリオの交換や批評を行うことが出来れば、自分の作品に一つの評価基準を貰える。
つまり、応募前の不安を解消したいがためにこの会に参加しようと考えるのである。
これはクリエイティブタイプと名付けよう。
中にはハイブリッドタイプもいると思うけど、本質は必ずどちらか。
だから我こそはストイック!と思っていても実はクリエイティブなんてことはよくあることだったりする。
更に言えば『正論』という正義を軸に、両者間を時に行ったり来たりするフリをするから余計に厄介なのである。
そして最大の問題。
この2タイプは相容れない存在であるということ
ストイックタイプは自作を伸ばしたい思いからこの会に参加している。
だから人の作品に対しても、それで面白くなると思ったら、良かれとボロクソに言い放つだろう。
対してクリエイティブタイプの人間は、自分が言われて嬉しいことを言う。
作品の良さや魅力を語り、自分が言われたら嬉しいように、相手の不安を和らげようとするはずだ。
この2タイプを一つの檻に入れたらどうなるか。
予想は簡単だ。
喧嘩勃発
少なくとも空気が淀む。
クリエイティブタイプはストイックタイプのガツガツさを萎縮して何も言わなくなるだろうし、
ストイックタイプはそんなクリエイティブタイプをセンスねーなと罵倒するだろう。
そんな会に意味はあるのか。
ないよね。
だから僕の計画は頓挫した。
相性の良い人を集める他ない。
その術を持ち合わせていない内はこういうコミュニティを作ろうとするのは無謀なんじゃないか。
そう思ったのである。
どこか血液型占いに似ている。
この2タイプを踏まえて、
脚本家はどうあるべきか
当然、その答えなんてない。決めるべきではない。
面白さを追求するためには悪魔にだって魂を売る。そんなストイックタイプは他人の意見を借りてでも自作を極限まで面白くするだろう。
対してクリエイティブタイプは自分の作家性を信じてひたすら自分で書き進める。これが"俺の作品だ!"と自信を持って言えるそんなシナリオを目指している。
どちらの気持ちもよく分かる。
これを読んでいる人の中には他方の存在を否定したくなる人がいると思う。
アドバイスとして書いておくけれど、そういう人は無差別に集められた勉強会なるコミュニティに参加するべきではない。
時間を無駄にするだけだ。
何でこういう分類が起こってしまうのかと言うと、
脚本家という仕事は映像化までを見据えると共同作業が前提にあるということが最も大きい要因なんじゃないかと思う。
それぞれに想いというものがある。
"これが俺の作品だ"と言えるのは脚本を書くまでだ。
そこだけでも"自作だ"と胸を張りたい脚本家はいるだろう。
対して、出来上がった作品は脚本家だけのものではない。
だからこそ
脚本を書く段階でより面白くなるようアドバイスを貰うことは脚本家にとっちゃ当然だ。
と、面白さを徹底的に追求する人だっていて当然
なのである。
で、両者は考え方が根本的に違うからね。
相容れないんすよ……。
だから集まるとお互いにイライラしてしまう。
時が経てば、ストイックタイプの真摯な意見はクリエイティブタイプにとって悪口にしか聞こえなくなるだろうね。
で、それがクリエイティブタイプからストイックタイプに伝わる。
クリエイティブタイプには感情で考える人が多いから特にバレやすい。(これはふろゆの偏見)
以下に予想される勉強会をシナリオ形式で書いておきます。
ストイックタイプ+ストイックタイプ
○会議室(夜)
男、シナリオを読み終わる。
男「17ページの主人公の行動が分からなかった」
作者「そこは5ページの主人公の反省からそういう行動をしても不自然じゃないかなと思って書いた」
男「なるほどねー。このままじゃ分かりづらいから書き直した方が良いんじゃない?」
作者「確かに」
作者、メモる。
とても建設的で有意義なシナリオ交換会である。
クリエイティブタイプ+クリエイティブタイプ
○会議室(夜)
男、シナリオを読み終わる。
男「25ページ、とても良かったよ!」
作者「ありがとう。そこは14ページとの繋がりもあってそう書いたんですよ」
男「なるほどねー。じゃあこういう風にしたらもっと面白くなりそうじゃない?」
作者「確かに」
作者、メモる。
こちらも建設的で有意義なシナリオ交換会である。
ストイックタイプ+クリエイティブタイプ
○会議室(夜)
男、シナリオを読み終わる。
男「17ページの主人公の行動が分からなかった」
作者「(萎縮)そうですか。ちょっと考えてみます」
男「こういう風にしたらもっと面白くなりそうじゃない?」
作者「……なるほど」
作者、メモる。
これは建設的とは言えない。
恐らく作者には何も響いていないだろう。
作者は「……なるほど」って言ったとき、内心では「余計なお世話なんだよバーカ」と思ってるんだよね。
意見は求めていないわけだから。
で、この後、作者が男のシナリオを読んだ際には報復目的の批評を言う未来が見える。
もしくは以降、作者は一切喋らないし意見をしない。
そして「第2回シナリオ勉強会」というものが開催されることもない。
つまり、時間を無駄にして終わるのである。
シナリオは脚本家の手元を離れたら他人のもの
この大前提の元、
「シナリオ批評で作者は何も言い返すべきではない」
読んだ人が思ったものを、作者は真摯に受け止めるべきだ。
と、討論の意義を否定する人。
そんなの関係ねぇよと滅茶苦茶言い合って、
納得いくシナリオを討論の中でトコトン追求する人。
どちらの気持ちも分かる。
だから難しい。
ちなみに僕は典型的なストイックタイプです。
悪く言えば、場を荒らす側の人間。
もっと悪く言えばクリエイティブタイプの内情を知っていながらも我慢出来ない人間。
そんな人間が主催じゃダメだと思うんですよ。
一番それを企画しちゃいけない人間が企画していたという皮肉ね。苦笑
別の方法での実現化を模索中です。