雑記

コロナ禍で「今性」を書くという苦悩

投稿日:2020年5月30日

皆さん、お久しぶりです。


 

ふろゆは死んだ。

そう思ってしまった人も、もしかしたらいたのかもしれません。

 

ちゃんと生きていますよ!

 

実は、「NHK創作シナリオを終えたらブログの更新をする」。

自分の中で決めておりました。

思い立って早1ヶ月。

 

1ページも進んでおりません。

 

こうやって人は死んでいくのです。

 


 

 

NHK創作シナリオ大賞への応募作品。

1ヶ月超も更新のなかった僕のブログを読んでいるようなコアな脚本家志望の方々は、皆さんが既に書き上げていることでしょう。

 

しかし、僕は未だ1ページたりとも書けていません。

 

いやぁ、

 

難しすぎませんかね??

 

「NHK創作シナリオ大賞に向けた作品」

 

それはどんな作品なんだろうか。

 

このドツボにハマってしまった。

 

ある程度リサーチ力がある人たちならもうご存知かもしれないけれど、

 

NHK創作の大賞作品は時事ネタが多い

 

これは紛れもない事実である。

NHK創作シナリオ大賞の授賞式の審査員コメントでも、

「今性(いませい)の有無を見ている」とはっきりと言っているみたいだし、間違いないね。

 

実際に遡って大賞作品を見てみる。

 

第44回創作シナリオ大賞

「星とレモンの部屋」

→年金不正受給と大人の引き篭もり問題

(作品未読なので推測です)

 

第43回創作シナリオ大賞

「ゴールド!」

→高齢者の免許返納

 

第42回創作シナリオ大賞

「週休4日でお願いします」

→働き方改革

 

といった感じ。

 

こうやってみると、受賞作には確かにはっきりとした「今性」がある。

更に言えばそれは、作品テーマの「核」さえも担っている。

だから受賞を狙うなら僕らもそこは注力して書かねばならない。

これを無視するというのは受賞権利を手放すのと同義だ。

 

つまり、NHK創作シナリオ大賞に向けて傾向と対策を練るなら、

 

「今性」を切り取ること。

 

時代に沿って、時勢を切り取って、書く。

シナリオの中で視聴者にどこか社会問題を考えさせるような、そんなシナリオを目指す。

 

……。

 

 

くっそつまらんくね???

 

 

(NHK創作シナリオ大賞の審査員方々スミマセン)

 

え?????

これで面白く書ける人いんの???

いや、過去の受賞作は面白いから反例はいくらでもあるんだけどさ。

 

2ヶ月近く奮闘して気づいた。

 

僕には書けん。

 

難しすぎる。

どう足掻いても面白く書けない。

 

「2020年の今性を切り取る」。

これを考えるといの一番に出てくる問題、

そう、

 

「コロナ問題」

 

今年はコロナだ。

コロナで間違いない。

 

で、次に考えるべくは

1.コロナウィルスそのものを描くか

2.コロナウィルスで起こった副次的なものを描くか

 

恐らく後者の方がウケは良い。

コロナウィルスで作品を書く人は大勢いるだろうから、中心には別の「コロナに因んだ今性」を置くべきだ。

だから後者で考える。

そこから発展すればオリジナリティ溢れた今性の作品が出来上がるはず……。

早速、良い案が出たらプロットを練って書く。

 

……。

 

クソつまらんシナリオ、爆誕

 

もう3作品もボツになった。

3作品って聞くとショボく聞こえるかもしれないけど、プロットからみっちりと練って3作品だからね。

ブログの更新なんかやってる場合じゃない。

そのレベルの苦悩が毎度訪れる。

毎度、出来の悪い教育ドラマを作っている。

 

この2ヶ月、酷い悪夢にうなされている。

こんなの初めてだよ。

 

諦めるのは癖になるから1作品、何とか書き上げたいと思う。

 


 

今回の一件から色々考えさせられた。

 

自分の作家性を無視してコンクールに忖度した作品を書くシナリオライターは大勢いる

僕はそんな彼らはUNK食って寝ろレベルだと思っている。

僕も例外なくその書き方に挑戦した一人である。

 

自分の面白いを突き詰めて書いていけよ。

みたいな格好良いことは到底言えないけれど、

 

書きたいものを書く

 

これが出来ない内は面白いものなんて書けるはずがない。

籠もってないんだもん。

形容し難いけれど、一種「魂」みたいなものが作品に入っていない。

だから、

「書きたいものを書く」

それが作品を書く第一歩なんだと再認識した。

 

こういうことを書くと、

やれ商業シナリオがー、コンクールはそもそもビジネスでー……

なんて輩がほぼ100%出てくる。

僕はそういう人たちもUNK食って(以下略)

まあ全否定は出来ないよ。

そういう人たちもいなきゃ「社会」は回っていかないだろうし、そういう観点も「大人」としては必要だから。

でもさ、それって「創作」においては「邪魔」でしかない。

やってることは「創作」じゃなくて「商売」に近いんだもの。

僕のブログにはそういうことは書かないでほしい。畑違いだから。

NHK創作シナリオ大賞はその「邪魔」がそもそもの課題になっている気がする。

忖度に似たものが大前提としてある。(あくまで個人的感想ね)

だからそこを始点に始めてしまうと、面白いものを生み出すのがとても難しく感じる。

テレ朝の「ジャンル指定」を更に色濃くしたような感じ。

要項では「フリーテーマ」なんだけど、おかしな感じ。

思っていたより作品幅が狭い。(きっと僕の力量不足なんだろうね)

 

この書き方は僕にはとても、難しかった。

 

では自分は今までどうやって作品を描いていたのか。

今回の苦悩はそれを見つめ直す良いキッカケにはなったかな。

それは前述してるけど、

 

「書きたいものを書いていた」

 

至ってシンプル。変えるつもりもないし変わるつもりもない。(これ以外じゃ書けないし)

ただ、この書き方で大賞を取れるなら誰も苦労はしない。

これはつまり、「より作家性に富んだ作品」を書けってことなんだろうけど、

受賞を目指す上での「作家性」とは、

「独りよがりにならないこと」

これね。

 

自分が面白いと思ったから書く。

 

それはシナリオ書きの大前提なんだけど、見てくれる人を意識していた方が絶対に良い。

なぜなら作品の評価は相対的かつ客観的なものだから。

この見てくれる人ってのは、

 

「視聴者」

 

だと以前の僕は思っていたんだけど、今回の苦悩で思ったんだよ。

 

「製作者」

 

こっちなんじゃないかって。

ちなみにこれは忖度するということではないので注意。

 

制作陣「この脚本家さんと仕事してみたいなぁ」

「どんな人なんだろう。一度会ってみたい」

「なんて作品なんだ。イカレてやがる」

 

そう思わせられる作品を描くということ。

「映像化してみたい」。

そう駆り立てられるやつ。

それが正解なんじゃないかなって今は思っている。

 

そこに僕が描ける最大限の「今性」がある。

 

人は自分の想像以上に他人に興味がない。

更に言えばコンクールでは、僕らの顔さえも審査員には見えない。

良くも悪くも作品の完成稿のみが僕らにとっての「顔」であり、審査員との「唯一の関係性」なのである。

 

その意識を忘れてはならないね。

 

 

時代に沿った「今性」を書けなきゃNHKで大賞は無理なんだろうけどさ、

苦悩の先に、僕に描けるのは「自分を描ききること」それしかないんだなって思ったよ。

これを知れだだけでも良い財産だと思わない?

 

ま、これじゃ大賞は無理なんだろうけどさ。(二度目)

 

 

NHK創作、向いてないみたいです。

 

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