雑記 脚本の技術

第46回NHK創作テレビドラマ大賞に応募したよーー!!【今性の話】

投稿日:2021年7月1日

みんなお疲れ!!

今年もNHK創作テレビドラマ大賞、無事に応募することが出来ました!

と言ってもこのコンクールは参加率が高くなく(3度目の応募)、いつも以上に胸を借りる気持ちで応募した。


 

あー。燃え尽きた!

今回はNHK創作だから"今性"は絶対に入れようと思ってプロットを考えた。

でも"今性が大事"って手放しに言いまくっているけれど、

 

今性とは何じゃろか

 

言葉だけをそのまま飲み込めば、

現代的なやつ? 今風なやつ?

って思う。

2021年で言うとコロナ禍での生活が一番かな?

他には、最先端の技術だったり、新しく生まれた言葉だったり、社会問題だったり……

そういう"今性"を題材にして物語を紡ぐこと。

今性を描くことってそういうことなんだって

 

ずっとそう思っていた。

 

でもね、"今性"ってもっとシンプルなことなんだと思う。

『今だから描けること』

これが正解なんじゃないかな。

それは特定の事柄ではなくて、今生きるこの世界。この時代を切り取ること。

 

今ここにあるドラマをきちんと描くこと

 

今作はその辺りをしっかり考えて描けたんじゃないかなって思ってる。

もちろん題材で"今性"を扱っている作品がNHKで多く受賞しているのは事実。

 

第44回大賞作品『星とレモンの部屋』なら『引き篭もり』

第43回大賞作品『ゴールド!』なら『高齢者の免許返納』

第42回大賞作品『週休4日でお願いします』なら『働き方改革』

 

僕が見た過去の大賞作は、その全てが今の社会問題を切り取った作品たちだった。

だから

『似たような"今"を切り取った話を書こう』

そう思う人って結構多いと思う。

でもね。

引き篭もりなら昔だっていた。

免許の返納だって社会現象になっただけ。

働き方改革も、所詮ルールじゃん?

そんなところから面白いドラマは生まれない。

僕が受賞した題材を使って当時描いたとしても、全く面白くない作品に仕上がっただろう。

一次落ち必至だ。

受賞者たちは、題材の、アイデアの、もっと先を見ている気がする。

今性は一単語では語れない。もっと奥にあるものなのだ。

題材に囚われてスタート地点を見誤ったら、作品は途端に駄作へと成り下がるだろう。

 

今まで描いてきた作品には、薄っぺらさをどこかにずっと感じていた。

僕の作品を読んだ人たちは僕のことを

 

アイデアマン

 

アイデアのふろゆ

 

とよく呼ぶ。

一応褒め言葉。

でも逆説的にはアイデア以外が作品に投影されていないから、そうとしか言われなかったとも捉えられる。

確かに人よりアイデアは思いつく。

母親が映画好きで小さい頃から映画やドラマをいっぱい見てきたし、漫画もたくさん読んだ。

小説はたまに……かな。苦笑

クソみたいな環境を経験しつつも、素敵な人たちにも出会ってきたから、良くも悪くも感受性に恵まれた。

僕の中には大きな世界が広がっていた。

だから物語を面白くする展開やアイデアは多く思いついた。

展開の中で登場人物をいじめることも簡単で、

訓練せずとも何となく良い話を作ることも出来た。

 

ただ、アイデアだけ。アイデアだけだったんだよ。

 

アイデアをふんだんに60分入れ込んだコメディシナリオは、一次落ちした。

今までやってきたことの集大成をぶつけたつもりだった。

ほんの半年前に描いたシナリオの話だ。

50枚の一瞬だってアイデアを切らさずに、常にワクワクしながら読めるよう描ききった。

『次はどんなアイデアを見せてくれるんだい? ふろゆ君!!』

そう思いながら次々とページをめくらせる強さがあの作品にはあったように思う。

実は自信もそこそこあった。

でも結果は一次落ち。

 

これがアイデアマンの限界

 

今だから言える。落ちて当たり前だった。

僕の描いた作品からは『脚本家の僕』は感じ取れるけど、『僕』が全く感じ取れなかった。

まあある意味で斬新奇抜な作風ではあるけども。

選評講評でよく審査員が言っている『作品の向こう側のあなた』が全く見えない作品だった。

僕に必要なものは『自分自身との対話』だったのだと思う。

自分が好きだけど嫌い。

そんな残念で面倒くさい二面性があったから、そのことに気づくのに5年もかかった。

 

『NHK創作では今性が大事』今ではそう思わない。

全てのコンクールで"今性"が求められている

なにもNHK創作に限定されることではない。

現代に生きる僕たちこそが"今性"であり、描くべき対象なのだ。

SFや時代劇はなぜコンクールに出すべきではないと言われているか。

それは一般的に予算がかかるから。と言われているけれど、

"今性"がなくても話が成立してしまうから何でもありになってしまうのかな?

と、最近は思っている。

過去の人や未来の人が何を考えているかなんて誰にも分からない。

そこに綿密な舞台背景が描けていれば別だが、50枚でそれを描くには至難だと考えられる。

この辺りも今性の重要性を強く感じさせた根拠になったよう思える。

 

描くのは面白い物語ではなく、面白いドラマ。

"今性"は現代ドラマに必要な要素。

むしろそこが中心にあるべきに思う。

 

『今性』という言葉の捉え方だけでも描き方が大きく変わってくるからシナリオの世界は奥深い。

こういう事柄の受け取り方一つ一つの違いが細かな作品の違いとなって個性、強みとなってくるのだろうな。

逆も然りだけど。苦笑

 

まあね、アイデアマンにはアイデアマンの強みがある。

特別卑屈になることはない。

これは僕の勝手な思い込みだけど、

アイデアマンの人は、とても自由に作品を描ける人。

いつも何者にも縛られず、自分の思いのままに描く。

だからよく脱線するし、感情が途切れるし、どこか面白いだけの突拍子もない話になりがち。

でも、それは描きたいことがいっぱいだからなんだよね。

そんな大きな世界で試行錯誤しながら答えを探すことが好きな人は、ある意味では一番主人公を描くには向いている素質を持っているのかもしれない。

そこに気づけるかどうかがコンクール突破では鍵かもしれないね。

僕はしっかりと自己分析をして、もう少し視野を広げて描く必要があったんだなあ

と、今になって思う。

 

はあ。やっとシナリオが分かってきた。苦節5年。

ここに来て大きな伸びしろに気づけたんだから、もう泣くわ。

 

 

これで一次落ちした日にはもう……誰か慰めてケロ

 

 

 

NHK創作、皆さんお疲れさまでした。

結果が出るのは例年早いみたいでちょっと怖いけれど、いつも通り期待せずに待とうかな。

 

つんく♂さんにアクトジャムさんにNHK創作、6月はコンクールコンクールで楽しい一ヶ月だった。

また7月も描いていこー!!

 


 

僕がコンクールで一次で落ち続けてきた背景に、『審査員の目』というものがある。

よく『一次審査は運だ』と言う人がいる。

確かにあると思う。

僕も一次審査は通ったり落ちたり、その繰り返しだ。実際に運の要素はあるのだろう。

でも絶対的自信があったコメディが一次で落ちたことから、『審査員の目』は僕が思っていた以上に鋭かったんだなと今は痛感している。

一見すると"何か面白いシナリオだな"という僕のシナリオが、全て見透かされて普通に落とされた。

5年間頑張ってきた。

正直アイデアに関しては極めたと言って良いくらいやってきた。

そんな僕の目指していた道が、この一次落ちで間違っているとはっきり分かった。

5年【本気で頑張って】やってきたんだもの。

僕は馬鹿じゃない。要領だって悪いわけじゃない。

それに、時間と努力は裏切らないことを僕は知っている。

それでも結果が出なかったのは、そもそも僕が間違っていたから。

 

この事実は『脚本を読む力』、これが審査員にはしっかりとあるという証拠でもあった。それも一次審査から。

そう考えると落とされた癖に審査の精度は信じられるという謎現象が発生する。

これは良い作品を描けば拾ってくれるという至極当然な方程式にもなる。

ドラマを冷静に理解し、作品に投影出来ている人は一次二次はコンスタントに通る、

一次は運と言われている世界で、そういう猛者が多くいることも納得が出来る気がする。

そりゃ最終審査ともなれば好みの要素も入ってくるだろう。熾烈な戦いとなる。

そこが最も高い壁なのだろうけど、僕が考えるにはまだ早すぎるな。

 

まずは一次通過。

これを目指していきたいね。

-雑記, 脚本の技術
-, ,

Copyright© 脚本猫柳 , 2024 All Rights Reserved.