雑記 思い出

『僕の家族』

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常に前を向いている必要はないよな


 

皆さんお久しぶりです。

シナリオ界隈はテレビ朝日の新人シナリオコンクールの話題で盛り上がっていますね。

今年(今年度)のテーマは『家族』だそうで。

家族と聞くと温かいものだとか、いつも味方でいてくれる存在だとか、

そんな感じのイメージを何となく持っている。

でも現実はより複雑で、残酷なものである。

イメージ通りの家族なんて日本中探してもほとんど見つからないだろう。

そんな現実を知りつつも、テーマ『家族』で思いつくのはアットホームで温かいキラキラしたシナリオばかりなのだから面白い。

これは日本のドラマ界が築き上げてきた功績とも言えるだろう。

 

数日前、

 

『家族のシナリオってどんな作品を描けば良いんですか?』

 

そんな質問がブログの読者から届いた。

『どんな家族像を描きたいか』

これに尽きる。

それは自分の家族でも良いし、ドラマがこれまでに築き上げてきた理想の家族でも良い。

勿論、現実を交えた家族像を生み出しても良い。

創作なのだから、好きなように描けばいい。

『あなたの描きたい家族』がちゃんと伝わりさえすればそれで良いと思う。

 

ただ、テンプレート家族なんて今更見たくない。

僕が審査員ならそう思う。

 

と、今回の記事のシナリオ談はこれだけ。

今日は本文で『僕の家族』の話を少し書かせて欲しい。

更新頻度が減った言い訳も兼ねてるんで。

※内容暗いんで、一応閲覧注意です。

最近ブログ更新もせずツイッターも浮上していませんが、テレ朝は描くつもりです。

 

どうでもいい報告。

東映ホラーとスタジオブルーはダメでした。

プロットが下手という事実は重く受け止めたいと思います。

ただ一言言わせてくれ。

惜しい人材を逃したな。


 

11月も後半に差し掛かり。

最近は何もかもが億劫で、生命維持以外の活動を何一つ行っていない。

何のやる気も起きなくて、冷蔵庫に水を取りに行くことさえ『だるい』と思ってしまう。

 

……。

 

10月の後半に実家から連絡があった。

父が病院に担ぎ込まれ、もう長くないとのことだった。

このブログのコアな読者なら知っているかもしれないが、

この父親と僕は血が繋がっていない。

ゆえに家族間では問題ばかりが起こっていた。

父から愛情を注がれた記憶は微塵もない。

注がれたのは生活費と義務教育時の学費、それとDV。

それだけだった。

誇張なしに『お金』と『暴力』だけが父と僕の繋がりだった。

殴られた記憶以外、何も残っていない。

 

 

そんな父がもうすぐ死ぬ。

 

 

上京のため家を出る前に母に

『父が死んでも葬式には出ないし帰っても来ないから』

と伝えた。

 

母はそれを覚えていて、今、こうやって電話してきたのだった。

 

『帰ってくるんだよね?』

 

と。

 

母は

『生きている内に帰ってくる必要はない。でも死んだ時は帰ってこい』

そんな言い方をしていた。

母なりの譲歩なのだろう、そう僕は察した。

 

『普通の家族』を持つ人たちがこの話を聞いたら驚くだろう。

自分が異常な環境にいることはずっと理解していた。

だからずっと、ずっと『普通』に憧れていた。

普通の家庭をずーっと羨んでいた。

学生の頃は普通に感謝しないやつらが大嫌いだったし、恨んでさえもいた。

隣の畑はいつも青くて、羨ましかった。

僕は永遠とも思える灰色な世界で、ずっと生きていたから。

自分は普通じゃない

憧れは手に入らないから憧れであり、

『理想的な家族』、『ドラマみたいな家族』を僕は一生手に入れることが出来ない。

父の死を前に過去を思い返し、色々と考えさせられた。

そんな最中でテレ朝のテーマ発表。

 

『家族』

 

バカにしているのか、と叫びたくなった。

テレ朝が僕個人の都合なんて知る由もないし、今回のテーマ設定は10000%僕とは無関係だ。

ここで怒るのはお門違いだし、何ならただの八つ当たりでもある。

そんなことは分かっている。

 

それでも、それでも!!

 

父の死を前に、僕の頭の中では四六時中『父との過去』が渦巻いている。

こんな状態で『テーマは家族です』と言われたら、僕は自分の家族のことを描くだろう。

というか、それしか描けない。

 

『父の死』

 

死にかけの親をネタにシナリオを描くことを前向きに考えられる人間がいるとすれば、それは悪魔だ。

クズエピソードの宝庫である父でも、僕にとっては唯一の育ての父親なのだ。

恨みしかないはずなのに、早く死ねと願い続けたはずなのに、

 

『父が死ぬ』

 

そのカウントダウンがいざ始まると、どこか寂しい気持ちに襲われる。

暴力と金以外、繋がりなんて何もなかったのにな……。

 

僕はきっと、このテレ朝で父のことを描く。

ただ、中々に立ち上がることが難しい。

というか、もう何もやりたくない。

 

頭の中で無意識にプロットを組み立てている自分が大嫌いだから。

 

"父が死んだ時、その時の自分の感情はドラマに役立つのではないだろうか"

 

そんな悪魔じみたことを考えてしまうくらいならいっそ、

 

何もやらない方がいい

 

そんな風に思ってしまう。

 


 

母から『年末は帰ってこない?』と言われ、親孝行がてら帰省することにした。

お正月に独り過ごす母を不憫に思ったのと、母に単純に会いたいと思ったから。

母は大学に行かせてくれたり、時にDVを庇ってくれたりと感謝しかない。

『俺、内定を蹴って脚本家を目指すよ!!』

と言った時も、

『後悔なく生きなさい』と背中を押してくれた。

この母の後押しを前に未だプロになれないのは、中々に親不孝だと思っている。

だから何としても結果を出したい。

でも現実はつれえな……。

早くプロなりてーよ。

 

特に(葬式等の)理由もなく帰るのは6年ぶりになるだろう。

大学の友だちを引き連れて地元観光をしたのが最後だ。

あと何回帰れるかな……。

帰ったら一緒に映画を見よう。

10歳の頃に一緒にファイナル・デスティネーションを見たのが母とのベストメモリーだ。

DVDを取り出してR15指定にブチギレた僕。母は気づかなくてごめん、と謝りつつ、笑っていた。

その数日後に一人で見るのは怖いからと夜中に起こされ、一緒にスクリーム(これもR指定)を見た。

何も反省してねーな、とプールサイドで腸を垂れ流す男を見ながら思った。

わざとやっているのかただの天然なのか。

僕はそんな母が大好きだった。

教育ママ界隈では、これを虐待と言う人もいるのかもしれないが、僕は最高の愛情を注がれたと思っている。

映画が好き。演劇が好き。

この世界に入ろうと思ったきっかけに、母の影響は少なからずある。

 

年末まで生きているか分からないけども、父とも存命中に会うべきかどうか迷っている。

普通なら『会うべきだよ!』と思う人が多いのだろうけど、僕と父の関係は同じ境遇の人の定規でしか測れない。

僕に限れば『会う選択』が正しいとは限らない。

こういう時は普通に寄せると大体が後悔する結果となる。これは経験則からだが。

向こうは僕に来て欲しいなんて一ミリも思っていないだろう。

僕も会いたいなんて一ミリも思っていない。

だから会わない方が良い。きっとそうだ。

それでも"普通なら"に憧れてしまっている僕は、今になっても迷ってしまっている。

 

この帰省で家族に関して、少しでも前を向けたらいいなと思う。

 

 


 

ちなみに僕の家族には他に弟(父の実子)が一人いる。

六本木に会社を持ち、20代半ばにして年収1億という化け物である。

同じ屋根の下にいたはずなのになあ!!

DNA差はあるだろうが、一番は愛情と金の注がれ具合だと思いたい。

 

自分が情けねえ。

 

この人生って何だったのだろう。

 

その理由を付けたいがためにプロを目指している節はぶっちゃけある。

過去を清算したいという強い思いだ。

承認欲求で脚本家を目指す人に嫌悪感を示すけど、僕自身も私情ありまくりの動機だから人のことは何も言えないのが実情。

軽蔑してもらって構わない。

 

また落ち着いたら更新します。

 

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