鳥でさえすぐには飛べない。
ずっとシナリオについて考えていた。
前回のNHK創作テレビドラマ大賞の受賞作品は『ヤングケアラー』を題材としたものだった。
僕が同コンクールに応募した作品も『ヤングケアラー』を題材としたものだった。
同じヤングケアラーでも僕の結果は二次落ち。片や大賞。
山が被ったかな?とも思うが、どの道どこかで比較されて落ちるのは僕の方だったのだから落選事実に変わりはない。
この題材被りを経て思ったのは、
間違っていなかった
ということだ。
あれだけ時世が時世がと悩んでいたことが功を奏した。
結果には繋がっていないけど。
そして残念なのは『筆力』。
圧倒的に足りていない。
単純に『下手だった』それが露呈した。
ちなみに露呈したこと自体はラッキーだ。
大賞で面白い題材を見せつけられ『やられた!』と思う人の大半は『自分もその題材を選べば大賞!』という思考を多少は持つ。
僕も同じように捉えてしまう一面がある。
それが今回はない。メンタルボッコボコのボコだ。
だからこれを機に色々と考えよう。
考えなければならない。
そう思える良い機会だった。
見つめ直し、確認、改善……
PDCAサイクルをずっと、ずーっと回す。
……
何を切るか、
何を見せるか、
何を伝えるか、
どう人の心を揺さぶるか。
自分に描けるものは、
何を持って生きているか、
今を生きる人が求めているものは、
日本はどのように回っているか……
そんなことを考えていたらあっという間に時が過ぎた。
よし、今年も大丈夫。
筆力も付いているはず。
頑張れる。
やるぞ!!
今日はシナリオの核の話。
「シナリオの何が一番大事か人によって違うから正解が分からない」
という話を聞いた。
さて、ここでシナリオを描く上で大事な物を5つ取り上げてみる。
・構成
・ドラマ
・キャラクター
・セリフ
・独創性
「構成で魅せることによりストーリーが華やかになる」
→プロットを綿密に練る
「心の深みを描くことでドラマに色が付く」
→心の表面化に注力する
「魅力的なキャラクターがいなければ始まらない」
→バックボーンを掘り下げる
「セリフで人物を好きにさせる」
→セリフを何度も精査、改善する
「作家独自の視点がなければ私が描く意味ない」
→自己分析に力を入れ、その見せ方を考える。
矢印の先は僕なりの解だ。
これらに力を入れることで作品は良くなっていくし、選評でもこの5点を中心に話が進んでいくケースが多い。
んで本題。
この5つ。
人によって、最重要とするものが異なると思う。
僕は『構成』を組むのが好きで『セリフを描ける人は力がある』と選評で読んだ。
だから構成とセリフに力を入れていた時期がある。
でも一巡して思うのは、
どれも大事
ということだ。
つまり何が一番大事かって質問には『全部やるしかない』という回答になる。
そんなのズルい!って思う人もいるかもしれないけれど、
少なくとも僕は他人の作品を読む時はこの5点は見ているし、見極めも付く。
下手くそな自覚があるなりに、下手な部分も分かる。
僕でそうなのだから審査員も当然
『見極めが付く』
だから全部大事。
ちなみに僕が審査員なら、
劣っている部分に耐え難いものがある>ドラマの弱さ>数作を比較
の順番で落とす作品を決める。
ずば抜けて良い部分を拾うことはあるかもしれないけれど、
5点の内どれか一つでも粗があると全体がおかしいことになっていることが多い。
『ずば抜けて良い』みたいなものはそもそも、そういう作品には存在しない。
だから『何が一番大事か』って思考は捨てたほうがいい。
近道を探さず、全部やる。
それしかない。
受賞シナリオという一定の評価を得た完成形で見ると『秀でたもの』は目に付きやすく模倣したくもなるが、どれも狙って描けるものではない。
だから価値がある。仕事になる。人間が、個人がやる必要がある。
強みは突き詰めて伸ばすものではなく、5点を極めていく中でそれぞれ自然と浮かび上がってくるものだと僕は思っている。
そしてこの5点は、描き続けないと身につかない
構成はプロットを作って執筆、形にした上で成功失敗体験により洗練されたものになっていく。
ドラマは心情や作品内で直面する課題のアウトプット力が必要だ。
キャラクターやセリフは何十本と描き何百回と推敲する中で掴めていくものだと思うし、
独創性は『何が独創的か』が分かる眼力が必要になる。
ただひたすら描く、描く、描く。
どれも執筆の中で少しずつ分かってくる。
そうやって理解、改善していくことでどんどん描くことが楽しくなってくる。
→ここの理解、改善の一助となるのがシナリオスクールや講評会、勉強会だ。
描いていくうちに次第に自分はどういう脚本家なのか見えてくる。
ここが脚本家のスタートラインであり極致でもある。
だから、
描くしかねえ
一朝一夕でプロになれるほどこの世界は甘くない。
センスどうこう言われがちな業界だけど、面白いシナリオを描く人ほどその手のひらは泥だらけだ。
正解不正解がないのは創作の良いところだと言われている。
しかし、これを都合の良い解釈で捉えているとコンクールではコケる。
執筆の刃・無限落選編は本当に辛いエピソードにまみれている。
いっそ鬼にスパンと殺された方がマシだと思えるほどの地獄だ。
落選の連続はジワジワと自尊心を蝕み、最後には筆を折ってしまうのだから……。
執筆する中で見えてくる作家独自の景色がある。
僕は微かに見えてきた程度だが、『それ』は確かにある。
そこまでは藻掻きつつも描いて描いて描きまくって、辿り着く必要がある。
昔からの読者なら知っているかもしれないけれど、僕にだって執筆が嫌いな時期があった。
もう描きたくないと半年間ほど筆を折った。
それでも乗り越えて描き続け、今に至る。
紆余曲折の先に答えは必ずある。
これをクオリティと呼んで良いのなら、そこがコンクールを越えていけるラインだと僕は思う。
僕もまだまだ旅の途中だ。
何者かになるためには何者かになるための努力が必要だ
君は君、俺は俺。
世の中はそういう風になってきているけども、
『脚本家』という職に限れば「俺はふろゆだ」と作品を通して伝えられる筆力が求められる。
挙げた五点、妥協なしに仕上げた作品(自分)に満足せずアップグレードを続けること。
これが執筆の醍醐味だ。
執筆の刃・無限執筆編
人によってはこれも地獄に映るかもしれない。
ちょっと長くなった。
次回もこの記事の続きを書く。
興味あればぜひ。
近況報告。
今はNHK創作テレビドラマ大賞のプロットを描いている。
上手くいかないなーと何度も描きなおし、何となく納得いくものが出来つつある。
こういうの出来たぜえええ!!!と誰かに見てもらって感想を聞きたいけども、中々その一歩が難しい。
中途半端な出来だからこういう微妙な仕上がり段階でも読んでくれるような仲間が、いや、
シナリオ友だち欲しいぜ(切実)
このご時世、友だちの一人だって作るのは大変だ。
一つ最近の話をさせてくれ。
とあるネットゲームで友だちを作ろうと思って勇気を出して声を掛けてみたんだ。
すっげーマイナーゲームだったから、横の繋がりも少なくこちらから寄り添えば上手くいくと思った。
んでその結果、
1回目は無言で逃げられた。
2回目はキック(SNSでいうブロック)までされた。
ちなみに挨拶しただけでこれ。
世の中おかしいじゃんマジで!!
でも最近、そういうとこあるよね。昔からこうだったんかな。
だから友だち一人作るのも勇気いるっていうか、作るまでに心がもたない。
しかし、
おいいい、心開いてくれよおお!!
と自分では思いつつ、傍目には僕自身が一番心開けていないやつだったりするという矛盾もある。
つれーな。つれえ。