雑記 思い出

リベンジを果たす、そうじゃない

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8月は暑かった


 

WDRの〆切が終わった翌日。

高熱が出た。

38度越え。

ちょうど同じタイミングでいつもお世話になっている友人から連絡があった。

『コロナになったわあ』

僕から彼にか彼から僕にか、感染経路は分からない。

どちらにせよ、十中八九僕もコロナだ。

何もせず、どこにも行かず、数日間寝込んだ。

何も出来ずどこへも行けずと表現する方が適切か。

世間ではコロナ罹患者を無症状者・有症状者と区別している。

自分は一体どちらなのだろうか。

これが軽症なのか重症なのか全く分からない。

コロナ罹患者はまず、外に出て来ない。

僕も初めてのコロナ罹患。

ゆえに程度を知る手段がない。

ネットにはコロナ症状こそあれど、辛いかどうかに関しては主観的なものばかり。

よし、僕は重症の方にしよう。

だってこんなに辛いんだもの。

自己問診で勝手に診断する。そんな8月頭だった。

発熱から1週間後には熱も落ち着いてきた。

これでいつも通りの毎日をまた送れるはず。

と思ったが、僕には全くそんなことはなかった。

 

咳が止まらない

 

僕は元々、喘息を患っている。

小児喘息が大人になって再発したもので、空気の吸入量が人より極端に低いと診断を受けた。

呼吸器官に疾患のある患者がコロナ罹患した際、重症化しやすいと聞いた。

だからコロナには気を付けろと周りからは散々言われてきたのだが、僕にはその後遺症の方が辛かった。

8月中はずっと咳に悩まされた。

熱はないのに。

検査も陰性になったのに。

咳が止まらない。

体もだるい。

眠れない。

ご飯も進まない。

文字通り何も出来なかった。

執筆さえも。

WDRの〆切後で本当に良かった。これだけが不幸中の幸い。

8月は南のシナリオの〆切があったみたいだった。

昨年初応募して一次で散ったラジオドラマのコンクール。

ラジオドラマの執筆は難しい。

そんな感想を持ったっけ。

映像脚本も相当難しいけども、ラジオは更に難しく思えた。

そのため元々出すつもりもなく……。

が、そんなことを言いつつなんだかんだ気になった公募には、いつも応募をしている。

だから今年も応募する。きっとそうだ。

 

……

 

断念した。

咳が止まらない。辛い。

『こんなんで俺、脚本家になれるんかな……』

めちゃくちゃ弱気になった。

これコロナのせいだ。

公募一個逃しただけでこんなにメンタルやられるなんて……。

 

……。

違う。

これはずっと、心の奥底に眠っていたもの。

見ないふりをしていただけのもの。

立ち止まってしまったことで湧き出てしまったもの。

 

俺、脚本家になれるんかな……

 

押し殺していた感情が一気に押し寄せてきた。

自信がない。

今まで評価を受けたことなんかただの一度もない。

一次審査通過したからなんだ、最終残ったからなんだ。

受賞しなければ何にもならない。

映像化も夢のまた夢。

一体今までどこから自信が溢れてきてたんだろうな、僕は。

コロナの症状もきつかったけども、僕にはこっちの方が辛かった。

 

ぼーっとしながら療養生活を送る。

いつもは見ないバラエティ番組をTverで見ていた。

ジョブチューンという番組。

大手チェーン店が店自慢の十品の商品をその道のプロフェッショナルに試食して貰い、その合否を判断してもらうといった番組内容だ。

審査員は7名。過半数つまり4人から合格を貰えればその商品は番組上で認めて貰えたことになる。

大手チェーン店側は商品開発の社員が数人出演していた。

 

僕が見たのは

オリジンvs超一流料理人

ミニストップvs超一流スイーツ職人

9月3日までTverで見ることが出来る。

リンクを貼っておくので時間ある方はぜひ。とても面白い。

この商品は合格だろうなーとか、これは厳しいだろうなーとか、そんなことを考えながら見ていた。

その的中率は中々で、僕が合格を出した商品は大体が同じように合格を貰えていた。

『僕が商品開発に入った方が良いんじゃないか』

そんな意味不明な自信をこちらで身につけていた。

いやいやこっちじゃないだろう、と。

しかし実食もせずに判断できているのは不思議なもので。

見た目で味を判断出来ているのだろうか。

そんなことも考えたが、いやいや全然。

どの商品も美味しそうである。

ではなぜここまで的中出来たのか。

……。

……。

 

熱意

 

おそらくこれだった。

商品開発者の熱意。番組を通してこれを感じ取っていた。

商品を実食してもらう前、もしくは実食中に商品開発の社員が『その商品の魅力を語る』そんな時間がある。

僕はこの段階で合否を判断していたのだった。

この商品はいける、とか、こっちはだめだ、とか。

それは自分の過去の追憶そのものだった。

脚本家を目指す上で今までに出会ってきた、

多くの甘えた感情。自分本位な感情。

これが開発者と重なった。『一生懸命やること』にもやり方がある。

中でも気になったのはミニストップのスイーツ開発、中里さん。

可愛らしい見た目の女性の方で、今回は二度目の参戦とのことだった。

前回不合格を貰った商品のリベンジで来たとのことで、燃えていた。

彼女は前回からの一年間で、相当量の商品研究・開発をしてきたのだろう。

だが、その結果は散々だった。

不合格三連敗。十品しかないのに。

酷評を受けた中里さんは番組内で泣いてばかりだった。

それもそうだ。

彼女はリベンジに燃えて一年間、ずっと懸けてきたのだ。

それを次々と否定されたのだもの。

僕は共感して、思わず涙を零してしまった。

僕にも同じ経験があったのだ。

一年頑張って一次落ち。

昨年は通ったはずの一次で落ちた。

笑えない冗談である。

彼女は業務時間外でも甘いものを食べ続けたと他の社員が語っていた。

業務中もきっと真摯に甘えず専念してきた。

全てはここでリベンジを果たすために。

しかし、現実はボコボコのボッコ。

思わず同情したくなるような、そんな番組設計だったように思える。

しかし……

 

ここはプロの世界

 

プロとは対価としてお金を得るものなのである。

もらうのはお客さんが別のどこかで汗を流し、働き得たものだ。

ここで同情して美味しいと言ったところで救われるのは一体誰か。

誰も幸せにならない。

プロの人たちはそれが良く分かっていた。

そう。頑張ったってそれが現物から伝わらなければ『審査』において何の意味も持たない。

プロの世界で涙を流し、同情を受けたって誰も幸せにならない。本人さえも。

僕がいくらシナリオを一生懸命描いたからといって、

何時間費やし、どれだけ寝不足になったからといって、

 

関係ない

 

実力不足の時は『そう』なのだとはっきり突きつけられる。

ジョブチューンも脚本も、一緒に思えた。

そこで一つ、仮説が生まれる。

僕は商品の合否を大体判断出来た。

つまり合格を貰うためにはどうすればよいか、それを心のどこかで分かっているのではないか、と。

僕が思うに、中里さんがこれから目指すべきは懸けてきた時間を惜しむことではなく、そのマインドを変えることだ。

ベクトルを変える。

なぜ商品開発をしたいと思ったのか。

なぜこの会社に入ったのか。

それはジョブチューンで結果を残すためではないはず。

審査員の人たちのコメントは、僕と同じことを思って発言したものに思えた。

 

リベンジしたい

 

中里さんからはそんな想いを強く感じ取れたが、

"ものづくり"はそうじゃない。

もっと大切なものがある。

シナリオで言うところの

 

受賞したい

 

がこれにあたるだろうか。

夢と、目的や手段を同一にしてはいけないのだろう。

僕はなぜ脚本家になりたいと思っているのか。

なぜ公募に応募を続けるのか。

 

全ては良質なドラマを描きたいから

 

その一心だったはず。

ふろゆだから描けた独自性の高い作品を世に生み出す。

作品を見たどこかの誰かに『何か』を感じてもらいたい。

原点はそこだ。

その実現のために何をするべきか。

そこで初めて『勉強』が必要となるのだろう。

この番組でも『勉強をもっとしてください』と開発者は言われていた。

では勉強とは何か。

 

好きなものを描く

 

それは創作において大いに結構なことである。

が、やはり外に出す以上は一定の『努力』が必要だ。

脚本においてそれは『伝える努力』『伝わる努力』なのだと思っている。

そのための勉強や、執筆、習作だ。

 

最近の僕は、

『受賞したい』だったり『結果を残したい』といった感情が前に出過ぎていたような気がしている。

 

俺、脚本家になれるんかな……

 

こんな考えが出た時点でそうじゃない。

悩むところはそこじゃないと思うべきだった。

感情で弱気になることそれ自体、僕にとってはコロナより重篤なものだった。

もっと本質的なものをしっかりと見ようと思う。

原点回帰して執筆しよう。

応募を続けるのはリベンジのためじゃない。

 

そう心に刻む。

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