雑記

【第49回】今年もNHK創作に応募が出来た【2024】

投稿日:2024年7月2日

渇いたああ叫びがあああ

くじけそうな胸を突き刺す

(FIELD OF VIEW/渇いた叫び)

曲を口ずさむ時って聴くと大体沁みる。

歌詞の『君』は『ボク』として聴く。

それがふろゆスタイル。

人生僕&ボク。

アーティストさん、作詞家さん、作曲家さん、編曲者さん、

広報してくれた方々、そして遊戯王、ありがとう。

皆のおかげでいま沁みています。


 

ちょっとだけ遊戯王な話。

 

僕の中には僕を見守るもう一人のボクがいる。

いつも僕はボクと相談しながら物事を決める。

『僕』が思ったことに『ボク』が考えを話す。

そこで『僕』が納得すればそこで終わり。

納得しなければまたボクに投げかける。

ボクはいつでも僕を客観視した意見をくれる。

ボクは僕が5歳の頃、少しだけ年上の女の子だった。

この頃のボクは『大丈夫? 君は可哀想な子だね』とずっと慰めてくれていた。

いつの間にかボクは今のボクになっていて、友人となった。

 

友だちに初めてこの話をした時、友だちの『ボク』は『赤ちゃん』だと話してくれた。

辛い時はその赤ちゃんに変わってもらう。

上司に『どうしてこんなことも出来ないんだ』と怒られたら

『赤ちゃんに何真面目に言ってんだコイツ。んなこと出来なくて当然バブ』

バブみ全開で世の中何とかなると言っていた。

みんなそれぞれに『ボク』との付き合い方があるんだなあと笑えた。

ドラマってそういうこと。ボクとの対話。

さあ頑張るバブ。


 

さて第49回NHK創作テレビドラマ大賞。

昨年のNHK創作の応募記事を読んでいたら6月を丸々帰省していた。

んで

 

今年も帰ってた

 

狙っていたわけではないのだけどそっか。

昨年の今頃も帰っていたんだなあ。

あと何回帰れるんだろうなと思うと寂しくなる。

10年以上実家に寄り付かなったことを思い返すと、どうしても後悔が残る。

 

 

今年は〆切が7月1日の正午だった。

例年より1日だけ長く描ける。

次回からは募集内容も少し変わるみたいで、

求めている作品像も変わるのだろうか。

49回のここで滑り込みたいと思うところに熟年コンクーラーみを感じてしまう。

 

今回の応募に向けて、プロットと箱書きを早い段階で仕上げることが出来た。

6月10日には初稿を終え、僕には珍しく3週間書き直す期間も作れた。

たくさんのシナリオ仲間に作品を読んでもらえた。皆も〆切があるだろうにありがとう。

ある程度作品をまとめあげ、あとは応募するだけ……そんな状態だった。

6月半ば。

シナリオ勉強会なるものが発足された。

メンバーはそうそうたる面々。

運良くそこに参加させてもらえた。

はて。自分がなぜそこにいるのか。

等とは全く考えず、肩を並べられたことを誇らしくさえ思っていた。

ここで頑張るぞ。

まずはこの出来立てホヤホヤの作品を読んでもらおう。

自信満々に作品を載せた。んで、

 

ボコられまくった

 

これでもかってくらいにボコボコのボコ。

泣いた。

いや、涙は出なかったけど心臓のバクバクが止まらない。

これは号泣を通りこした何かだと思った。

一番感じたのは見ているところの違いと読み込みの鋭さ。

そうか、これがプロか……。

高い高い壁を感じた。

ここでたぎれる男なら僕もきっとモテたのだろう。

でも現実はメンタルがぶち折れてベッドで2日間寝込んだ。

〆切も近いのにまじで何もしなかった。

食欲もなかった。

笑いも出てこない。

ずっと天井だけを見ていた。

変な講評ならスルーすればいい。何言ってんだ?とブチギレたらいい。

でもどれもこれもがズドンとのしかかってくる。

『お前は今まで何やってきたんだ?』

と。

講評について思うことがある。

『ここが分からない』

と評されたことに関して「では分かるように描けば面白くなるのか」ということ。

 

 

そうはならない。

部分的に直しても面白くないものが面白くなるわけがない。

納得出来ない違和感はセリフやト書き一つ直したところで解決しない。

そんな奇跡は起こらないし、どうすればいいかを講評は教えてくれない。

全部自分で考える必要があった。

ひたすら含んでは吐き出すを繰り返す2日間を過ごした。

何もしていなかったけど、天井しか見ていなかったけど、

頭ではずっと作品のことばかりを考えていた。

何が出来ていなかったのかでなく、何を見ていなかったのか、描こうとしていなかったのか。

2日間で何となく答えが出てきた。こういうことなのかな。

漠然としたものだったけど、書き始めると不思議と筆が進んだ。

 

そうやって仕上がった今作

 

初稿は早く書き上げたけど結局〆切ギリギリまで直し続け作品と向き合っていた。

今でも納得していないところがある(が、今でも直せない)。

一度メンタルが折れて立ち止まれたことが何より良かった。

なかったら不完全燃焼どころか一燃焼もしないまま出してた。

〆切間近に関わらず講評をくれた仲間たちに感謝。

中には前日とか前々日に読んで忌憚ない講評をしてくれる人もいて。

こんな人たちいねーよなって思っちゃうよね。

ほんと、ありがとう。

 

 

みんな、お疲れさまでした。

 


 

 

以下、勉強会のこと。

 

応募のタイミングで勉強会は退会することにした。

ボコられるのは2日寝込めば何とかなったけど、

『酷評された後に再び読んでもらうこと』

『人の酷評をするのも見るのも辛い』

これにずっと悩んでいた。

何も考えず参加したのは本当チンパン行為だった

こんなに恵まれた環境は僕史上これまでもこれからもない。

たまの酷評もそれだけガチな会なのだからある。

その分講評濃度は半端なかったし成長もめちゃ出来た。

たった1週間でも学べたことは一生もの。課題だっていくつ見つかったか分からない。

集まったメンバーにも、発足してくれた方にも、講評をくれた方々にも、感謝しかない。

短期間で作品も良くなった。筆力も上がった(気がしている)。

 

退会を伝えた時メンバー数人から『勿体ないよ。頑張ろ?』と引き止めてもらえた。

放っておけばいいのに、僕なら放っておくのに……。

すごく苦しかった。今でも苦しい。

こんなに想って考えてくれる仲間までいる。

シナリオ上手いのに人情もあるなんて、いや人情あるから上手いのか?ずるい。

このトレードオフに最後の最後まで悩んだ。

 

結論として、抜けた。

しっかり悩んで決めたことだったから。

『戻りたい』と思う理由がやっぱり『引き止めてくれてありがとう』の気持ちに比重があったから。

自分の成長のために残るべき~はものすごく理解出来たし、プロを志すものとしておかしなことをしている、止めてくれてありがとうとさえ思う。

それでも戻ったらきっと僕はまた同じことで悩み続けるし、迷惑を掛ける。

抜けたり入ったりは流石の僕でも気が引ける。

シナセンの講評で他作を『褒めること』しかしないことを『先生が全部言ってくれるから』と言い訳していたことを自覚することにもなった。

僕は講評が出来ない。

今までの講評を思い返してみても、

絶対直した方がいいと思ったところでも作者がそうならそれで(落ちて)いい。

作家を立てているように見えて、実はめちゃくちゃ冷たい。

だけどそれも学びと自分を納得させ過ごしてきた。

ダメなもんをダメと言えるパワーを持ったフリだけしてきた。

本当は何も言えない。

精神的なものなのかな。

飛べるけど飛べない鳥。

泳げるのに泳げない蛙。

言えることが言えない僕。

これは……

 

怖いから?

 

未だに自分が掴めない。

自分のことさえままならない人間が人の人生を描く脚本家を志している。

皮肉たっぷりで一本描けそうだ。

僕とボクが何度も言い合いをしている。

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