3000時間やればプロの入り口に立てる。
「3000時間の法則」という言葉を皆さんはご存知でしょうか?
人は何でも3000時間やれば結構良いところまで行けるそうです。
1000時間やれば、その業界の何となくを掴むことが出来るそうで、
3000時間やれば、その業界のプロをやっと名乗れるそうで、
10000時間やれば、その業界で食っていけるそうです。(完全にプロ)
これを脚本の世界にも当てはめることが出来るのか?
それが今日のお話。
この話を聞いて、
違うんだよなぁ。時間じゃねぇんだよ。
と、言う人もいるでしょう。
実際に半年間の勉強でヤンシナを受賞した人もいますし?(僕のセンセイ)。
これを定説に当てはめるのは少なくとも脚本業界ではナンセンスな話なんでしょう。
でもさ、それでも時間って大事よ?
トーマス・エジソンは言いました。
天才は99%の努力と1%のひらめきで出来ている
知っている人は知っているのですが、これは努力の重要性を示したわけではなく、
天才は99%の努力をした後に1%の閃きがあって天才と成り得る。
というニュアンスです。
つまり、
凡人が100%努力をしたって凡人なんです。
悲しきことに凡人は一生凡人。エジソンはそう凡人を突き放したわけですね。
凡人が100%、人生の全てを懸けて脚本の勉強をしたって脚本家にはなれないのかもしれません。
でも、これはこうとも言い換えることが出来ます。
自分が天才か否かを見極める為には99%努力をしろ。
と、いうことです。
俺は天才じゃない、私は天才じゃない、だから努力をする。
そう大々的に発言する人たちは五万といるけれど、
99%努力をやって言っていますか?
99%やっていないのに天才か凡才かを語るのはそれこそナンセンス。
ただの諦めの早い人、大袈裟に物事を言う人です。
99%、具体的に数値で表してみましょう。
それが3000時間です。
人は3000時間やって、やっと自分が天才か凡才かを語ることが出来るのです。
僕は脚本を3000時間も書けているだろうか……。
僕は大学3年生の時から日課のようにやっているゲームがあります。
寝起きに30分、毎日やる。
今も続けています。
そんな傍から見ると意味の分からない日課。
ここまでくるともう日課を越えた、癖ですね。
ちなみに学生の頃は休みの日、丸一日を引き篭もってぶっ通しでやっていた頃もあって、その頃は友人に病気だとも言われていました。
その驚愕のプレイ時間を見て今日の記事を書こうと思ったくらいです。笑
そのプレイ時間はなんと、
約4000時間
オーマイゴッド。
塵も積もればなんとやら。
5年間で4000時間、ああ、計算するのも恐ろしい。
1日あたり……oh..shit....。
僕はこの道のプロを名乗って良いレベルまで、知らぬ間に登りつめてしまっていたんです。
これだけやって4000ですよ。
病気なんじゃないかと友人に言われるレベルまでやって、4000時間ですからね。
それで「アナタは今までに3000時間分脚本を書いていましたか?」と聞かれたら、即答でNoですよ。
間違いなく3000時間は書いていません。
盛って1000時間程度でしょう。
つまり、
僕はプロの入り口にも立てていないわけです。
そりゃ一次落ちだわ。
エジソンの言葉を引用するなら天才か凡才かを語る以前の問題です。
スタート地点にさえ立てていない。
いや、先ほどシナリオでこれを定説にするのはナンセンスだと話しましたけどね。
要は
99%努力をしてねぇのにウダウダ言ってんじゃねぇよ!(自戒)
ってのを言いたかったわけです。
天才だとか才能だとかを語るのも烏滸がましい。
プロに対して失礼でさえある。
脚本界の重鎮と呼ばれる人たちはこの理論で言えば10000時間以上は書いているわけで。
……。
すげぇな
自分のゲームのプレイ時間に驚愕したのは勿論そうなんだけど、
こうやって自分の生活と照らし合わせてみると、10000時間の具体性が出てきてマジでプロはやべぇな、と。
化け物しかいないのも頷ける。
僕は集中力がある方だと思っていたけれど、それでもやっと4000時間をゲームに費やすことが出来たくらいです。
10000時間脚本を書き続ける!?
WTF……。