【訃報編】の続き。
鹿児島の葬儀場に到着。
時計は23時を回っていた。
おばあちゃん婆の苗字で「○○家」と書かれた部屋に入っていく。
親戚が数人と家族がいた。
5年ぶりの帰省。懐かしいな。
「久しぶり」
実母に話しかけられた。
残る僕の家族はこの母だけだ。
続けざまに親戚の人にも話しかけられた。
身内の不幸は初めての経験で、普段は交流もないから誰が誰だか全く分からない。
でもこんなに親戚がいたんだと思うと何だかそれだけで嬉しかった。
義父とは何も話せなかったし、義父も話しかけて来なかった。
僕らはもう他人なんだと実感する。
一通りの挨拶を済ませ、おばあちゃんの棺に向かう。
おばあちゃんは安らかに眠っていた。
髪の毛は真っ白で、僕の知っているおばあちゃんとは少し違っていたけれど、紛れもなくおばあちゃんだ。
「ありがとう」
開口一番に出た言葉がそれだった。
驚いた。
謝りに来たはずだったのに、
「ありがとう」
発した途端に自然と涙が流れてきた。
「ありがとう」か……。
自分で言うのもおかしな話だけど、あの家庭環境でここまで優しく育てた。
ここで「ありがとう」と一番に言える大人になれた。
奇跡だよ。
おばあちゃんは本当にすごい人だったんだね。
そんな自分を作ってくれた、おばあちゃんに
「ありがとう」
そうずっと言いたかったんだと思う。そして言えた。
たくさん感謝して、その後、たくさん謝った。
誰もいない告別式の会場で、いっぱい泣いた。
涙が枯れるくらい泣いた。
みんな寝静まった後、
その会場で、知らない叔父さんが横にやってきた。
叔父さんは僕の椅子3個くらい隣に座った。
「お前の事情は知っているよ。大変だったな。俺にはお前の経験がないから、これまでのお前の悲しみや苦しみを完全に理解することはできない。でもな、受け入れて生きていかなければならない。そうやってお前は生まれてしまったんだから。分かるか?」
「ですよね。頑張って生きていきます」
叔父さんはそれだけ言って去っていった。
現実を受け入れる。
何度も考えたことだ。
境遇を受け入れて前に進まないといけない。
こうなってしまったものは仕方ないことなんだと理解して生きること。
そう頭では理解していたことなのに、この時はその言葉が胸に深く刺さっていった。
現実を受け入れるとは何なのか。
幸せな家族は見て見ぬ振りをすればいい。自分の不幸を受け入れて、自分の人生こそが現実なんだと、それで他者を妬まず、自分を肯定することが現実を受け入れることだと確信していた。
だから辛い過去は風化させようと生きてきた。
でも違う。
これは不幸な自分にただ甘えていただけだ。
それに気づいた。
自分に不利なことは全部家庭の事情のせいにしていただけ。
人より不幸な道を進んできたんだ、仕方ないっていつも自分を納得させていた弱い自分。
確かに同情はされる。でもそれだけじゃ自分は何も変われない。
同情じゃ現状は何も変わらないし変えられない。
現実を受け入れるということは事実に甘えずに生きていくことなのかもしれない。
知らない叔父さんがどこの誰だかは今でも分からないけれど、きっと親戚なんだろうな。
あれだけ格好良い大人が親戚にいることを誇りに思った。
そしてあんな大人になりたいなと強く思った。
僕の人生、まだ巻き返せるはず。
これからの人生は自分の足で強く歩いて行こうと決めた。
【告別式編】に続く。