※いつにもまして独り言の記事です。
ブログに吐き出したい。それだけの理由で書いた自己満記事です。
理解した上で読んでもらえると幸いです。
詰まってしまった!!
ヤンシナ用のシナリオをピリオドまで打って、読み返す日々。
前もって箱書きはしていたし十分に構想も練っていたから、シナリオ自体は最後まで読むことができるし、展開の納得もできる。
ただ、
これじゃ駄目だあああ。
出したとして、一次は通る。いや通ってほしい。
きっと通るだろう。それくらいの自信はある。
でも違うんだよ。
狙うのは大賞。大賞一本。欲を出していくんだふろゆ。
「うん、一次はいけるかな。でも二次くらいまではいってほしいなぁ」
そう言えたらどれだけ気が楽なのか。
本音を言えば二次突破は最低でもいってほしいと思ってる。それも目標の一つだから。
だけどそうじゃないだろお前は。
大賞、取るんだろ!?
過去の大賞作品を遡って5年分は見ている。
そこから導き出される答え。
A.大賞、無理だ。 (Q.E.D)
こういった不安がある状態で出しても落ちた時にその不安が=言い訳になってしまうのは目に見えている。
コンクールは不安なしで出すことに意味があるんだ。
新人はそうじゃなきゃいけないはず。
全力出さずに大賞ってそれ、天才ですよ。
今回のチャレンジ(前回の抱負参照)の意味も失いたくない。
全力出して落ちたならそれでもいい。良くないけど。
自分の中だけでも納得しておかなきゃ。
何が悪いのか。
……。
困った時は自分が最終選考の審査員になった気持ちで自分の作品を見てみよう。
”ここに名審査員が誕生した”
茶番はこの辺で。
キャラクターか。
キャラクター、キャラクター、キャラクター。
キャラクターが上手い作品。
主観だけど、
28回ヤンシナの大賞、小島総一郎さんの「ぼくのセンセイ」。
近年のヤンシナでは一番キャラクターの個性が描かれていたと思う。(生意気ですみません)
ちなみに総合的に見ても僕の中でここ5年のヤンシナで1番の作品だ。
※2017年1月号の月刊ドラマのバックナンバーに載ってます。
あの作品は台詞がすごく光っていた。
「ぼくの先生」はキャラクターが立っていてそれに伴った台詞が飛び抜けて上手かったから大賞だったんだと今でも思っている。
公式に載せられたその作品は書式がめちゃくちゃで、半年の独学で初応募らしい。
僕の一作目(無勉一次落ちという黒歴史)も書式ミスが酷かった。
それでも大賞。書式なんて関係なくなるくらいに頭が抜けてた。
よく分かる。キャラクターに対する比重はでかい。
キャラクターの魅力とは、台詞?
上手い人は書き始めるとキャラクターが勝手に動き、話し始めるらしい。
……???。
その感覚が全く降りてこない。降りてくる気配もない。
人物の想像はできているし、脳内で映像化して動かしてもいる。
でも、”勝手に”動く???話す!?!?
もう都市伝説なんじゃないかって。脚本家の誇張とさえも思う。
きっと誇張だ。そうに違いない。勝手に動くなんてありえない。
そんなものがありえてたまるか。
台詞(人が勝手に動く)は才能?
ふざけるな、ちくしょう。
改めて自分の作品を客観視してみる。
これじゃ駄目なのか、駄目なんだろう。
キャラクターが面白いかって言われたら面白くない。
ああ、どうしよう。泣ける。
キャラクターが面白い。
根本的な部分だよ、とっつぁん。
……。
あれ?どうやって書いていたっけ?
魅力的な人物ってどんな人?
優しい人?意地悪な人?力のある人?etc...etc......。
頭がぐちゃぐちゃする。
堅く設定しているから?それに縛られてる?その枷を外したら?
更に魅力がなくなりそう。
分からないand分からない。
なぜだだだだだ。
壁にぶつかり、力不足を痛感。
やっぱり台詞を書き直そうか。
性格に沿った展開を考えてみるか。
プロファイリングをし直そうか。
どの道大きな改稿は免れない。
でもこの山は越えなきゃいけない。
そう自分の中にある脚本家魂が言っている。
しばらく(徹夜で)寝れない日々が続きそう。
……aa(心の溜息)。
今日は一日書くつもりだったけど、やめた。
部屋の掃除をしよう。