頑張った!!
『自分で『頑張った!』と言うやつそこまで頑張っていない説』
これを次回のシナリオ閣議で提唱しようかと思っているのだけど、
『一日に限れば『頑張った!』と言うやつそこそこ頑張っている説』
これが対抗馬として挙げられるから少し考えているんだよね。
毎日『頑張った!』と言ってる人が現れた時、その人は間違いなく頑張っている人だもの。
ふろゆは頑張った!(6/26)
ふろゆは頑張った!(6/27)
ふろゆは頑張った!(6/28)
へへ。これで俺は紛れもない頑張った人。
3日だけだけど。
その3日の積み重ねが大事ってことにしてくれ。
今日はNHK初稿の推敲をやった(1周目)。
初稿が出来た際には良い作品が出来たぜーヒャッホーイと束の間の喜びを味わい、その1秒後にはWordファイルを閉じてブログを書き始める。
この理由は簡単だ。
もう原稿見たくない
疲れてとかそういう理由ではない。
過集中持ちのふろゆの辞書に『キリが良いから今日はやめよう』というセリフは存在しないのだ。
辞書にあるのは『体調悪or眠or予定! もうやめよ』これだけである。
でももう一個だけ、執筆を切り上げる瞬間がある。
それが初稿を描き終えたその後。
この日だけは全てを投げ捨てて気持ちよく過ごす。
ここで振り返らず見直ししなければ、素晴らしい翌日を過ごせる。
何ならこのまま即出してしまえば結果は度外視して、解放感半端ない。
そして次の日……
ふろゆ『ああああ推敲やりたくねええええ!狂!狂!』
推敲って執筆の醍醐味だと思うんよね。
『一応最後まで描き終えている』って安心感があるじゃん。
初稿を描き終えるまでの謎プレッシャーがない。
それだけで推敲作業は控えめに言って最高なわけです。
おまけに直していくと目に見えて良い作品になっていく、と。
いいね。ハッピーだね。
それでもやりたくない。
初稿の推敲は今までの経験上5時間↑コースが約束されている。
時間は百歩譲っていい。
初稿ってくっそつまらない。
つまらないシナリオは自作だろうが読むだけで苦痛なんだ……。
ライターズハイと呼ばれる脳内物質出まくりの初稿執筆時はそりゃ気持ち良いんです。
最高の作品が描けた。俺は神だ。
そう思って床につくんです。
で、一晩寝て冷静な状態で初稿を読む。
はい、くっそつまらない。
直すところしかない。
昨日のあれ何だったの。
俺は神じゃなかったの。
もう嫌だ。
だったら直せばいいじゃん。と簡単に言う人もいるかもしれない。
誤字脱字ありまくりってほど勢い付けて描いてないから、そこの修正は簡単。
むしろ直すところほぼないまである。
問題は、
『展開の矛盾』
『構成の確認』
『セリフの違和感』
『柱の朝夕夜』
『シーン毎の役割の精査』
『俯瞰して見るドラマ』
『……←これの乱用』
『微笑む人と下を見る人を減らす』
等など。
他にも色々あるんだけど推敲中は死ぬほど出てくるから割愛。
大工事必至だ。
推敲チェック表みたいなものがあれば照らし合わせて機械作業で便利だなーと一瞬思ったけど、あまりにも推敲要素多すぎて普通に見直した方が早い。
何より漏れがない。
なんかね、推敲って現実に戻されるんだよ。
創作はフィクションの世界に入り浸ることなのに、
この作業中だけは恐ろしい現実に直面する。
だから初稿推敲を始める前が執筆という作業の中d一番現実逃避したくなる。
具体的には僕、
逃げます
家から逃げる。パソコンから離れる。
執筆が出来ない環境に身を置く。
深夜徘徊が主。
国道を歩いたり、歩道橋の上で黄昏てみたり、駅前のベンチでぼんやり過ごしたり。
いつか職質されるだろう。
年数回だから許して。
それで特に何か収穫あるわけでもなく。
帰ってきて、さあ始めるかー。
その後、現実に打ちのめされて泣く。
もうね、本当に頑張った。今日はくっっそ頑張った。
心折れながら頑張った。
推敲終えたよ。1周目だけど。
今回は7時間掛かった。
過集中だろうと7時間メンタルを削られ続けると立っているのもやっと。
それで、これも恒例。
推敲終わった後にいつも思うんだよね
推敲って執筆の醍醐味だな
推敲作業が好きになった(気がする)。
気がするだけで、次回もまた逃げます。
これを僕はスイコーズハイと名付けます。
『執筆工程の中だったら推敲が一番好きー』って言う人たまにいるじゃん。
まあ僕のことなんだけどさ。
あれ推敲が終わった後だから言えるセリフなんよね。
フツーに毛根マッハ。
冷静に考えてみると、
『楽しい作業だなー』と思えるのは【良い作品が出来た】という結果に基づいたものでしかない。
推敲自体は、
『あー俺の作品つまんな』ってとこから始まって、
『ひどいシーン描いたなあ』と消したり直したり、
『ここ描きたいだけのシーンじゃん』とシーン丸々消したり……。
昨日の天才的な自分を酷評するだけの作業を延々と5時間↑なんよ。
これ好きな人いたらドSとドM両刀です。
見方を変えると『誰よりも熱心な講評者』ではある。
講評が好きな人は推敲好きなのかもしれん
そして推敲は脚本家の醍醐味。
つまり出来る脚本家はドSとドM両刀使いである(Q.E.D)
シナリオ仲間の見方変わった。