神様はいない、いらない、いても、いらない(fake town baby-UNISON SQUARE GARDENより)
CD買っちゃいました。原稿を無事書いて出し終えた自分へのご褒美です。
UNISON SQUARE GARDEN好きなんですよね。
「神様はいない、いらない、いても、いらない」って
今回買ったCDに入っている「fake town baby」って曲の歌詞なんですけど、
神様いらないなんて言ってみたい。
いても、いらない。
実力でテレ朝の賞を取りたい!
今は原稿を出したばっかりで何をしても何を聴いても脚本やコンクールのことに繋げてしまいます。
今回出した作品は、普遍的なことばかりを書きました。
大賞や佳作を取る作品は、挑戦的で個性があってどこか意外性のある作品が多いと知っているにも関わらずです。
座談会でも「挑戦的な作品だ」「チャレンジしている様子がうかがえる」「アイデアが素晴らしい」みたいな意見多いですし。
対して僕の作品には特別個性的なキャラクターはいないです。意外性もない。かといって専門性もない。
見せた人には「教科書に載っていそうな綺麗な作品」なんて言われました。もちろん褒められていないです。
書きたいものを、書ける力で、自分が一番活かせると思ったフィールドで書いていたらいつの間にかそうなっていました。
書き直すって手もあったのですが、コンクール対策だからと書きたいものを我慢して斬新なものを書くのも何か違うかなって。
郷に入っては郷に従え、そうかもしれない。
それでも自分の書きたいものを面白く書く。ありふれた幸せを全力で描く。
それも悪くないんじゃないかって。
自分の強みは未だに分からないし、入賞作品と比べて優れているところがあるかといえばない気もする。
でも審査員に見てほしいものは「アイデア力」じゃないのは絶対。
「書きたいものを表現する力」や「感動を届ける力」や「面白いなって思ってもらえる力」みたいなもの。
これが不十分なら問答無用で落ちるだろうな。
生意気かもしれないけれど、
僕は「プロットライター」ではなく、「脚本家」になりたい。
書いたものは過去の受賞作に比べると普遍的なものかもしれないけれど、
情熱が伝わる、展開が面白い、映像化したら良い感じ、良い台詞だ、
そんな風に思ってくれるといいなぁ。
個性がぶつかり合うコンクール。変わり種も多いです。
そんな中ではある意味「挑戦的」な作品なのかもしれません。
一周して珍しいまであります。
審査基準にアイデア点って項目があったらおしまいです。
もう後は冒頭でいらないと言った神様に祈るのみ。そういった意味では運頼み。
※ヤンシナはコンクール対策ばっちりの作品を書く予定です。
これでプロになることが正解かどうかは分かりません。
ただコンクール対策でどこまで行けるのかなって。
ゆっくりもしてられませんし一つ一つ試行錯誤です。
ちょっと運の話をさせてください。
すっごいどうでもいい持論の話です。(興味ない人はブラウザバック)
運って波があると思うんです。
普通の人は
こんな感じで波うってて、小さな不運と小さな幸運が交互に来る感じです。
で、僕の場合は、
こんな感じ。
ふり幅がでかい。そして期間が長い。波なのかこれはってレベル。
運が悪い時は何をやってもだめ。運気を上げようと気を持っても意味なし。他人の「普通」を羨む期間です。
良い時は何をやってもうまくいく。ドカーンと良いことが起こる。他人が羨ましがる何かが起こる。
オカルトチックで信用ならねー話なんですが、まじなんです。経験則ってやつ。
悪い時が数年続く時だってあります。良い時が数か月で終わってしまう時もあります。
気のせいかもしれない。けれども、僕ら人間が研究で解明できている領域なんて限られてるからあり得るかもしれない。
で、何が良いたいかっていうと、
今めちゃくちゃ運が悪いんです。
どれくらい運が悪いかって
事故(自損じゃない)で怪我したり、
お金を自販機に吸い取られたり、
機会損失30万円発生したり……。
これ全部ここ2日で起こったことです。大きいものから小さいものまで様々。
お金ないのに何でだよ。これは全て僕が悪いのか?
はぁ、運が悪い。
郵便局に脚本を出した時は確実に悪かったです。
でも一次発表の時に運が良い方にいってれば大丈夫です。これも経験則。
そしてその波が良い位置の状態で最終選考まで保っていてくれればもしかすると……。
そんなことを考えています。
はい。もうこれ、ダメっすね。
さらば大賞。