思い出

最後のさよならだ、父さん

投稿日:2022年6月21日

義父に会ってきた

今日は義父との思い出語り。日記みたいなもの。


 

6月6日に義父が亡くなった。

僕は6月7日に帰ることになった。

友引が8日でよく分からないけど日程がずれるとかで、その帰省でも間に合うとのことだった。

義父とは血縁がなく、義父の親族も来るしで部外者もどきの僕は帰るのが非常に億劫だった。

だって場違いじゃん。

それに

『葬式でも帰るものか』

と吐き捨てて僕は上京した。

帰りたくねーな。

でも、恩義はあった。

殴られ蹴られ、心までズタボロにされたけど育ててもらった。

育ててもらえた。

『嫌でも帰ろう』

帰らないという選択肢は一切浮かんで来なかった。

ギリギリまでTwitterのスペース(電話会議みたいなもの)で嫌だ嫌だとゴネ、結局時間通りに帰った。

 

母は駅まで迎えに来るとのことだったが、少し遅れると連絡が入った。

僕はアミュプラザ前で鹿児島の空気を味わうことにした。

アミュプラザとは鹿児島で今最も栄えているであろう駅直結ショッピングモールである。

道行く人を眺めていただけだったが、少し心が落ち着いた。

埼玉や東京とそう変わらない。

色んな人がいて、色んな会話をする日常が鹿児島にも当然あるんだなー。と何かそんなことを思っていた。

 

しばらくして母が来た。

見る度に小さくなっていってる気がする。

言おうと迷っている間に

『ちょっと肥った?』

と、母は僕にぶつけてきた。

昔からこういう人なんだよな。

僕はそんな母が大好きだった。

実家へ向かう。

お正月以来の帰省。

家には弟と義叔母(義父の姉)がいた。

 

義叔母『どうもこんにちは。大きくなっちゃって。ねえ』

 

義父の姉からは上品な印象を受けた。

上品だったけども、髪の色がYoutuberですか?と思えるほど青かった。

それが何だか可愛くて、面白かった。

後から聞いたのだが、この時どう僕に話しかければ良いのかと考えていたと義叔母は教えてくれた。

僕も多分、戸惑った顔をしていたのだろうな。

でも一番は髪の色が原因と思う。

 

そして亡き義父と再会。

義父は今にも布団から手を出し、僕の腕を掴んできそうだった。

『線香をあげてやって』

そう義叔母は言う。

僕なんかがあげても嬉しくないだろうな……と思いながら、線香をあげた。

 

合掌。

(僕は今、脚本家を目指している。どうせ馬鹿にするんだろうね。でもそれでいい。僕はもう縛られていないから。自分の好きに生きるだけ。いいよね?)

義父は何も言い返して来なかった。

 

その後、母の友人が手料理を振る舞ってくれた。

鹿児島にはなんと『鶏の刺身』なるものがある。

生の鶏肉を食べるなんてカンピロ何とか菌で自殺行為に等しいものだが、鹿児島ではなんと食べる習慣がある。

というのも、鹿児島では職人が手作業で鶏を絞めてカンピロ云々が主に入っている内蔵を綺麗に取り除いてくれるのだ。(機械処理では難しい)

そしてこの鶏の刺身。

めちゃくちゃウマい。

美味しいです。とめちゃくちゃ食べた。

僕の反応を見てか、お土産に持って帰りなさいね。と優しく母の友人は言ってくれた。

なんだろうな、思っていたのと違う……。

 

居心地が良かった

 

素直に思えた。

母も義叔母も弟も、皆が僕に優しかった。

ただ、遺影からはずっと睨まれている感じがして、実家で幸せを感じることに後ろめたさも感じていた。

 

翌日、お通夜の日。

 

朝一番に葬儀場の人が義父を連れていった。

お通夜の準備に取り掛かるらしい。

僕たちもしばらくしてから葬儀場に向かった。

付いて数時間後、湯灌の儀というものをやるとのことで別室に呼ばれた。

ここ数年で祖母の葬式を二度経験したのだが、この湯灌の儀には初めて居合わせた。

今までは帰省が間に合わず、この場に居合わせることが叶わなかったのだ。

 

湯灌の儀の説明を係の人が話し始めた。

内容はあまり覚えていない。

 

『湯灌の儀では、故人にぬるま湯を掛けて故人の穢れを洗い落とします』

 

なんかそんなことを言っていたような気がする。

僕はすごく嫌だった。

僕の中では『穢れを落とす』は『過去を赦す』と同義だった。

許せるわけがない。最低なんだこいつは。

 

僕は自分の番が回ってくると同時に席を離れた。

無理。

そう一言放って席を立った。

 

一人待機所でスマホを弄っていた。

Twitterで色々呟いて気を紛らわせた。

……。

戻ってきた家族は誰一人、僕を責めなかった。

弟くらいは何か言ってくるかなと覚悟していたが、何も言わなかった。

 

僕は気を遣われていた

 

いつまでも子どものままだった。

それがたまらなく悔しくて。

それでも大人になれなかった。

 

お通夜前。故人への手紙と鶴を折るように言われた。

納棺するらしい。

手紙は義父と話すこともないよな……と、断った。

何より義父が欲していないだろう。

僕は仕方なく鶴を折ることにした。

昔から折り紙は得意だった。

何でだろう。祖母の影響か、交友関係か。

弟が鶴を折れないと嘆いていたので、一つずつ折り方を教えた。

何でも出来そうな弟が鶴一つ折れないなんてなあ。ちょっと可笑しかった。

弟の折った鶴はすっごく不器用で下手くそ、羽も首も尾もボロボロだった。

それでも僕が適当に折った鶴なんかよりよっぽど良いんだろうな、と思った。

弟はその後、個室に籠もって一人で手紙を書いていた。

様子を見に行った時、泣いていた。

そうだよな、親だもん。

 

お通夜。慣れたくもない焼香の方法を再三係の人に説明される。

もういい、人が死ぬのはたくさん。

次のことなんか考えたくないし、覚えたくもなかった。

 

……。

 

お通夜が始まる。

お経を聞きながら、義父との楽しい思い出を考えようと記憶を巡らす。

何も良い記憶が出てこない。

義父の遺影は依然、ずっと僕を睨んでいる。

嫌いだよな。そうだよな……。

焼香がどういう意味合いを持っているか分からないけれど、

僕なんかに焼香されても嫌よな。

いや、参列されるのがそもそも嫌か……。

そんなことを一人で考えていた。

 

そして焼香。

母が一巡目だった。

1.焼香台の少し手前で遺族と僧侶に一礼。焼香台の前に進み、一礼。

2.数珠を左手にかける。 右手で抹香をつまみ、額におしいただく。

3.抹香を静かに香炉の炭の上にくべる。

4.合掌後、少し下がり遺族に一礼して席に戻る。  参考

何のことはない、たかが4ステップだ。

一応長男である僕は、母の後に続いた。

一礼、一礼。

数珠を左手に抹香を掴む。抹香を掴む。抹香を、掴む……。

僕は香炉の中の灰を握りしめていた。

頭が真っ白になった。

 

え、何で?

 

自分でもわけが分からない。

手は灰でいっぱいだ。

家族や参列者は皆が『何やってんだ』。

きっとそう思っている。

僕自身も気が触れているとしか思えなかった。

どうしようどうしよう……。

手を見る。

真っ白だった。

おしろいを塗ったくらい白い。

余計にパニックになった。

焼香を再開するため、ズボンで勢いよく手をはたいた。

そしたらズボンも真っ白になって。

……。

ものすごく可笑しくて、義父との過去の因縁なんかもうどうでも良くなった。

完全に吹っ切れた瞬間だった。

もういいんだ。

もう最後だ。

 

お通夜は無事に終わった。

ハプニングは僕のやってしまったことくらいだ。

僕はあれだけのことをして、誰からも話しかけられることなく終わった。

弟は話しかけられていたけれど、僕は全くだった。

きっとここでも気を遣われていたのだろう。

 

その夜、僕は義父に手紙を書くことにした。

 

最後くらい手紙でもなんだっていい。

話そう。

そう思ったんだ。

 

翌日、告別式。

2日近く緊張からか眠れなかった僕は、熟睡出来た。

外は晴天。とても気持ちの良い朝だった。

告別式では焼香を間違えることもなかった。

一安心も束の間、お別れの挨拶の時間がきた。

弟が行った。

ここは妻である母でも良かったと思うが、どうも弟が自らやりたいと言ったみたいだ。

一つ言えるのは、間違いなく僕ではない。苦笑

昨晩、少しだけ父に向けた手紙の添削を手伝った。

物書きとして心動かす文言を紹介したかった。

腐ってもシナリオ描き。少しでも力になれそうだと思った。

でも、弟の本音が反映された挨拶に勝るものは何も出てこなかった。

ほとんど何も力になれなかった。

シナリオをどれだけ学ぼうと敵わないものがある。

それが現実である。

弟は涙ながらに父との思い出を語った。

遂に最後の別れ。

棺の蓋を閉める直前。

弟は義父に

『格好良かったよ、最高の親父だった。ありがとう』

と話した。

何もかもが僕と正反対。と、悲しくなった。

 

火葬場。

義父の遺体を運ぶ際、少しだけ死臭がした。

すごく臭かった。ご飯も食べられないくらい鼻に来る。

でもその匂いを忘れちゃいけない気がした。

間違いなく嫌な匂いだ。

でも、嫌いにはなれなかった。

その後、義父は火葬されて骨となった。

頭蓋骨の形が分かるくらいに燃え残っていたのは義父らしいなあと思った。

燃え残った骨を見て義叔母がとてもショックを受けていたから、そのことを教えてあげた。

義叔母『頭が良い人だったよね』

頷く僕を見て、義叔母は嬉しそうに笑っていた。

『頑固なとこも』と僕は思ったが、言うのは止めた。

 

帰りの車内は誰も喋らなかった。

火葬場の帰りっていつも外の景色を見ている気がする。

何もないのに。

運転していた弟が沈黙を破って

『海に行くか』

と言った。僕らは同意した。

弟のこれからやろうとしていることを、皆が理解していた。

 

義父は生前、死んだら海に埋葬してくれ。と話していた。

これを『海洋散骨』と言うらしい。

本来は船をチャーターして専門の葬儀業者に頼むのだが、

鹿児島で出来るわけない。

つーか気持ち的に散骨は何か違う。

葬儀は故人のためというより遺族のために執り行うものだと僕は思っていた。

僕はともかく、母や弟、義叔母の気持ちを考えると散骨という選択肢はなかった。

それでも、

 

遺言を守りたい

 

そんな気持ちは皆が持っていた。

故人のために行うお葬式だ。

僕らは義父の遺灰を火葬場から少し貰ってきた。

そして義父を、海に撒いた。

葬儀会社、役所共に法律的には問題ないと事前に確認は取った。

骨を撒くのは流石に事件だよね……それで、遺灰だった。

 

遺灰はあっという間に海上へと消えていった。

 

僕たちはただ、眺めていた。

沖縄あっちの方かなあ。みたいなことだけ話したっけ。

 

帰路に付く。

 

実家に帰った僕は、母と、弟と、義叔母と、たくさん話した。

楽しかった。

厳しいこともいっぱい言われた。

脚本家になるのは修羅の道……だとも。

それでも、心の底から心配、応援してくれる人たちがいることがとても嬉しかった。

義父との別れ。

ちゃんと出来た。

自分なりのさよならが言えた。

僕はこの数日を一生忘れることはない。

ウダウダしないと決めた。

もう過去は振り返らない。

言い訳にしない。

忘れることはないけども。

大人になるよ。

(字が汚いのは許してください)


 

義父の葬儀には母の友人が思いの外、多く来た。

こんなに友人がいたのかってくらい来た。

どうも義父が難しい人だったからか皆近寄れなかったみたいだ。

義父が死んでそれでいきなり葬儀に来るのはどうなのか……と言いたい気持ちはあるけどそこは置いておき。

 

僕も弟も上京してしまっているから、母の今後はとても心配していた。

いつでもこっちに来て良いとは言っていたけども、今から上京は現実問題厳しい。

根っからの鹿児島人が埼玉東京て……。

だから母を今後、精神的に支えてくれる人がこんなにも多いことは嬉しかった。

一人でいることはないと知って安心出来た。

僕らが帰れば良い話なのだが、僕も弟もこっちでやり残したことがいっぱいある。

 

ただ、告白に来たと言う同級生の人が一人いて、そこだけオイオイとなった。

何でも高校生の頃から好きだったらしい。

そう別の同級生の方から聞いた。

 

何年純愛貫いてんだよ……笑

 

事実は小説より奇なり。

間違いない。

ただ、

僕がシナリオ審査員なら酷評しまくってやる。

そう思った。

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