脚本の技術

シナリオコンクールのコツが分からなくなった時に読んで欲しい記事

投稿日:2019年3月2日

シナリオコンクールがもう分かりません!

と言ったコメントをとある方からいただきまして、

その方に僕なりの答えをコメント欄で返信しても良かったのですが、

きっとこのブログを読んでいる人には同様に悩んでいる人も多いハズ……

出来れば考えを皆で共有したいなぁと思ったので今回は特別に記事でコメントの返信をすることにしました!

あとすっごくこの件について語りたかったというのもあります。

(直氏さん、勝手に記事にしてごめんなさい!)


 

コンクールが分からない。

と言うのは、あれですよね。

添削バッチリ、改稿しまくった。そんな自信のあるシナリオが一次落ちをかます現象。

それと、添削もせずに自信のあるやつに比べると気合の入っていない自信のなかった作品が二次や三次に進むといった現象。

そんな大事件が起こった時に感じる嫌な気持ちのことです。

 

僕も昨年ありました。

 

ヤンシナの一次落ち。

しかも自信があったやつ二本、どちらも一次落ちです。

前年度(一次突破)の数倍時間をかけて応募した二本でしたからね。

落ち込み半端なかったですよ。

この時はショックで凹みすぎて、多くの方に心配をかけてしまいました。

だから当時は僕も、

コンクールがわかんねぇ!

と本気で思っていました。

で、ひたすら考えたわけです。

 

コンクール受賞のコツって一体何なんだろうって。

 

一年悩んで僕の出した結論は、

「自分が考える面白いものをひたすら書いて出すしかねぇ!」

ということと、

「毎日祈祷をする」

この二点でした。

ふざけているように聞こえるかもしれませんが、超真面目に考えて出した答えです。

僕も未だに「面白いとは何か」が分からず、ずっと考えているんですよね。

だから「面白い」が分かるためにいつも面白いと思えるものを必死に考えてシナリオを書いています。

前回のヤンシナの選評では、

「極端な話、99人がつまんねーと言う作品でも1人が超好きならそういう作品が大賞になる」と審査員長が言っていました。

だから時にコンクールの結果=僕らの考える、「面白い」作品ではないんですよ。

こういうこと言うと炎上しそうですけど。

でもね、審査員長がこの発言をしてくれたことで、僕はいくらか救われましたよ。

「自分の感性はこのままでも良いんだ」って。

結局何が言いたいかと言うと、自分を突き詰めていくしかないのかなーと思います。

運が悪くてその年に評価が伴わなかったにしても、

書けば書くほど着実にシナリオを書くのは上手になっています!

僕自身、昨年のヤンシナで一次落ちをかました時、

「もうこれ以上は伸びねぇ!最高に面白い作品が落とされた」

と、散々思っていたけれど、

今年の作品はそれ以上に面白い物が書けたからね!

ないと思った伸び代、あったよ!!

ちなみに今年も

「今年の作品さいこーに面白いものが書けた!あれ以上はもう書けねーわ」

と思っています。(現在進行系)

でもきっと来年は今以上に面白いものが書けるようになっているはずです。

だから今はコンクールがわからねぇ!と思っていても大丈夫です。

書き続ければ一年後にはもっと面白い物が書けるようになっています!!

そうなってしまえば、コンクール受賞のコツが分からなくても別に良くなりますよ。

だって自分が信じる面白いものが前年度より書けるようになってんだから。

その実感を大切に頑張っていくと良いと思います。(感じなくなった時が辞め時とも言える)

で、自分の信じる面白いを突き詰めて、その作家性にコンクールの風向きが向いた頃に賞は貰えると思います。

この風向きこそが「祈祷ポイント」ですね。

「自分の信じる面白い」が評価されることを祈るのみです。

何ならいつか僕が賞を取ってこの理論を証明してみせますよ!

風向きなんか無視して審査員を振り向かせるくらいの気概で頑張るつもりです。

ちなみに僕は100人中99人が面白いと言ってくれるシナリオを書くことが夢です。

(第30回のヤンシナの審査方針と正反対ですけど、これは皮肉じゃないですよ)

 

頑張って書いていきまっしょい!!

 

 

次の質問。

 

コンクール作品を素人が添削する意味ってあるんですかね

 

その答え!

 

絶対意味はあると思います。

初稿なんて基本的にみんなうんこです。

改稿を考える時、それはこの方が面白い!と思った時です。

だから改稿後の作品の方が絶対に面白いに決まっています。

これ、どっちが良いかなーと悩んで書き換える場合はそうとは限りませんが。

 

よく改稿なしの初稿でコンクールに出す人がいますよね。僕はそれだけは本当に反対です。

※ここから下は僕が勝手にそう思っているだけなので、聞き流してください。

初稿で提出の気持ちも分かるんですよ?

「日頃忙しくて時間がない」、そう言われてしまうと「なら仕方ねぇ!」と僕も思ってしまいます。

それに物量作戦も、ことヤンシナにおいては「大賞を取る」という目的においては「確率だけは」あながち間違ってはいないです。

でもそれ以上に、もっと作品を良くできるのに勿体ないなーと、僕はその作品の伸び代を憂えてしまう。

これは僕の「書ける最高級のものを世に送り出したい」という"こだわり"から生まれるものです。

強制は出来ないけれど、出来ることならみんなもそうであって欲しい。

僕はこっちの方が大賞より大事なものだと思っています。

アイデアが、作品が、泣いてるよ。

それに、テキトーに出した作品が万が一にも大賞をとった時のことを考えてみて。

それが映像化されて、そのまま視聴者の感想となり、評価もされる。

嫌じゃないですか?

批評もそんなんじゃ受け入れがたい。成長も出来ない。

「あそこ書き直せばもっと面白かったのになー」という後悔ばかりがその作品には生まれてしまう。

何より、胸を張って受賞作を見たくないですか?

ま、これは綺麗事だと笑われるかもしれませんね。

心打たれた方は何卒、何卒初稿ではなく、改稿をしっかりやって最高級のシナリオをコンクールに出してください。

時に提出を諦める勇気も大事。

「落ちてもまた来年改稿して出せばいいやー」って人もいるんでしょうけど……。

 

はい、次がラストの質問!

これは僕個人に対する質問なので興味ない人は読まなくてok!!

 

コンクール用の60分ものを書くのにどの位の期間をかけますか?

 

僕が単純にパソコンと向かい合って書いている時間は、それなりのクオリティ(自己評価)の初稿をあげるまでで大体休み3日分はかかります。

最終稿までとなるとそこから更に5日くらいですね。

作品を寝かせているとふとアイデアが降りてきたりするので、改稿作業はあえて数日に分けて行っています。

でも構想は生まれてから2週間くらいは練っていたりします。

これはずっと机に向かって考えているというよりは、こういう作品が書きたいと思ってから、

日常生活の中でアイデアや発想を探して、大体の起承転結やらキャラ設定を固める具合です。

(ノートにサラサラーとメモ書きしています)

で、ある程度固まったら実際に書き始めていきますね。

なので2週間+3日+5日くらいですね。

こうやって書くと1本に1ヶ月くらいかかってんだなーと自分でもびっくり。

少しでも参考になると幸いです。

 

コメント返しは以上です。

 


 

シナリオの書き方って本当に人それぞれ。

例えば登場人物の履歴書。

登場人物の履歴書をノート一冊にびっしりと書く人っていますよね。

ちなみに僕は履歴書は書かない派。

登場人物の設定はある程度は決めるけど、書いてる最中にこういう設定良いなーとか後付でその都度追加していきたいからこういう書き方だったりする。

履歴書が曖昧の方が話の幅が広がったりふと思いついた魅力的な物が書けたりと、「自由」という点では良いことがいっぱいなんですよね。

でも矛盾が生じたり、キャラがブレたりして下手したら一からの書き直しも発生する諸刃の刃。

 

逆に履歴書を書く場合は、

練られているからこそ一貫した話がきちんと書けるし、専門的な知識も決めているから要所要所で取材がしやすい。

話の軸がぶれないし、ディティールが凝っているからこそ書けるシナリオが生まれたりもする。(バックボーンとか)

でも気をつけないと窮屈なシナリオになりやすいし、凝り固まっちゃってアイデアの芽を潰しかねないことだってある。

 

一長一短。

どっちも良いところがあるし悪いところもある。

こういう学校じゃ教えていないであろう体系化出来ない書き方がシナリオ作りでは面白かったりするんだよね。

本にしたら売れるんじゃないかな。

ふろゆ
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