雑記 脚本の技術

面白くないものを書くということ

投稿日:2019年9月15日

 

ページが進まねぇ!!


 

皆さん、お久しぶりです。

最近は意図してブログの更新をサボっております。

 

シナリオを書いておるんじゃ!

 

以前から言っている、特にどこかに出そうとか決めていないシナリオを書いています。

納得いくものを仕上げて前に進みたい。その一心で書いています。

 

10ページを書いては消して、書き直しては消して……。

消す前に一応バックアップは残しているのだけど、数えてみたら70ページ近くを削除していたという。

1時間ものの50ページくらいを想定して書いているのに、既に70ページを削除している。

消したところを繋ぎ合わせるだけで尺が埋まっちゃうよ。何ならお釣りも来る。

これだけ書き直しているんだからどれだけすごいものが書けたのよ。

って思うじゃん?

 

まだ10ページね(ドーン)

 

でも、確実に良い方向には進んできている(と思う)。

 


 

面白いものを書く。

面白いものを書けば認めてもらえる。

面白いものならコンクールで受賞できる。

 

"面白い"

 

シナリオコンクーラー、いや、脚本家なら誰もが考えるもの。

 

"面白い"

 

面白いとは何か。

このブログでも何度もそれについては書いたし、考えた。議論だってした。

で、それだけ時間を費やしても、今の僕は全く、何も分かっていない。

ただ一つ分かるのは"面白い"は姿形のない化け物のようなものなんだということ。

 

でも、最近「面白いものを書く上で軸にしている持論」がある。

 

"面白くないもの"

 

これが"面白いもの"なんじゃないかという考え方だ。

冗談ではない。大マジで言っている。真顔だ。

 

人は誰かに自分のシナリオを説明するとき、簡単にあらすじで内容を説明すると思う。

で、そこで求める一番の感想は、

 

それ、面白いね!

 

だ。

そう言われると安心するし、これで良いんだと思う。

これがスタンダード。

すごく普通だし、当たり前の論理的思考。

でも、正解はそれじゃないんじゃないかって。そう思ったんだよね。

 

誰かが、自分でも良い。

面白いと思う要素や展開、キャラクター、セリフ。

これを必死になって考え、絞り出して書く。

これなくしては脚本家を語れない。

面白いものを考え抜くことこそが"脚本家の本分"そう言い切っても良いくらい大事な能力だと思う。

でも原点に一度返って考えてみて欲しい。

 

なぜそれを面白いと思うのか。

 

大喜利のようなインテリ地味たものを除けば、それって

その人の見てきた作品の経験則に依るところが大きいのではないか。

そう言えないだろうか。

つまり、ひと目で誰もが面白いと思える要素と言うのは、

どこかの名作から無意識に借りてきたもの。

その再現に「安心をしている」だけ。

その"安心"これを面白いと錯覚しているだけなのではないか。

そういう状態は「新人コンクーラー」いや、「脚本家」としては健全ではない。

この"面白いもの"には、既視感や借り物感が必ず付き纏っている。

 

だから僕は今、

 

面白くないものを書いている。

 

脚本家志望としては真逆の、ありえない行動。

これだけ聞けば狂ったと言われても仕方がない。

”面白くないもの”をそのまま書いても面白くない。

当たり前だ。

だからここで言う"面白くないもの"は、

 

これ面白いんか??

 

そう思えるもの。

それが最適解。

それを全力で書いている。

少なくとも自分の経験や思想に安心を求められないもの。

そこに新人にしか書けない斬新さや自分らしさを探している。

これが正解かは全く分からないけれど、皆が面白くないと思って避けてきたもの。

それを作品に上手く昇華して実際に受賞してきた例がいくつもある。

その作品郡の評価はやっぱり賛否両論で、最初に書こうって決めた時に出てくる"危惧"はやっぱり批評という形でマイナスに返ってくる。

でも、内容はどうであれ、誰もがやらないことを

 

やる

 

それこそが新人に求められることなのかもしれない。

それこそが面白いと思わせるパンチとして評価される。

そう持論を立てている。

ただ、この書き方はとても筆が遅い。

自分の経験値が全く宛てにならないからだ。

おまけに、

面白いものが書けたと満足してしまったら、そこは消さなければならない。

脚本家として、まじで狂っていると思う。暴挙である。愚行である。

でも、十中八九"借り物"だから。

 

やっと10ページを書き終えた。

10ページと書くとササッと書けてしまえそうな文量だけど、

50ページの内の5分の1。100%の内の20%。

こう書いてみるとこの10ページは相当大事なピースだ。

これを書ききれたことがひとまず誇らしい。

面白いか?

それは分からない。

でも、これで良いんだと思う。

少なくともコンクールという土俵の上では、この書き方が一番正しいと僕は本気で思っている。(良い子は真似しないでね)

 

この考え方で言う「自分が思う面白い」。

これは"借り物"だ。

だから全てを新しく考える必要がある。

こう来たらこう来るよね。

そういう展開なんかも普通には持ってきちゃダメ。

自分の作品の"面白い"は、

公に晒してそこで再評価してもらう。

それくらいの気概で挑む。

そこを見越して脳をフル回転して考える。

"面白いを生み出すこと"。

正直、苦痛だ。

でも、甘えてたと思う。

今までの執筆は借り物から得た安心感におんぶにだっこ状態だった。

それを痛感している。

当たり前だけど、一度だって人の作品をパクって書いたつもりはない。

でも、それは濁しているだけ。

無意識に借りてきている。

言い方を最高に悪く言えば、既存作品の劣化を全力で書いてきた。

ただそれだけだった。

そりゃ筆も早いわけだ。

新しいものを生み出す人の筆が早いわけがない。

 

経験則で面白いものを書いても「面白いね」で終わってしまう。

そこに「新しさ」は全くない。

借り物を使い倒しているだけだから。

それは新人が書く必要のないもの。

 

これが完成すれば何か面白いことが起こるかもしれない。

 

問題は今作を、

いつ書き終えることが出来るか。

 

未だ10ページ。

10ページ以上に40ページが重いのは確実だ。

それは単純に文量だけの話ではない。

 

と、いう感じで今日も途中報告でした。

ページは全然進んでいないけれど、前進はしています。

頑張ります。

更新のテンポは今作が完成するまでは遅くなります。

ごめんなさい。

 


 

直近だとテレビ朝日の新人シナリオコンクールがある。

11月の半ば締切だったかな。

僕が書くテーマは「サスペンス」。

ネタは準備してある。

肝心の面白いかどうか?

これは分からない。

でも今日の話で言えば、分からないから良い状態なんだと思う。

 

締切までに機会があって、テレ朝のシナリオを考える集まりに何度か呼んでもらえている。

これには感謝しかない。

口下手であまり話せないというのに。

どうやら僕は人に恵まれているらしい。

内心ではテレ朝について深く話せたら良いな。そう思っていたりする。

 

自分のネタが面白いかどうかをそこで判断してもらえたら100点満点だ。

 

欲しい一番の答えは勿論、

 

「そのネタどうなんだろうね。分からない」

 

である。

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