2019年4月30日。今日で平成が終わります。
実感が湧かねぇ!!
それもそうだ。天皇が退位して元号が変わる。
ただそれだけのことだから。
天皇とは会ったことがないし、見たのはテレビの中でだけ。
一般的に「~さま」と呼ばれているけれど、どれくらい偉いのかも無学の僕には全く分からない。
というかそれくらい偉い人ともなると、全力庶民を演じてる身としては(実際は底辺庶民)離れすぎていて……。
もうどこか別の世界の話、それこそドラマの中の話をみんなが話してんじゃないかって思えるくらいに、
遠すぎる。
そんなんだからか全く実感が湧かないのである。
平成の今日から令和の明日へ。
僕にとっては実際はこうである。
2019年の4月30日から5月1日に日付が変わる。
いつもと同じ。月を跨ぐ瞬間。
ただそれだけのようにしか感じられないのである。
明日だって普通に地球は回る。
ハロウィン、クリスマス、節分、バレンタイン、最近だとイースター。
平成から令和は、そういった周りが祭り上げて何となく周囲も盛り上がるイベント。
盛り上がっている人には申し訳ないけど、僕にはそんな類の一つにしか思えないのである。
だから初めての経験ということも相まって、何を考えて過ごせば良いのやら……。
うーむ。実感が湧かないなぁ。
ハロウィンのお菓子や仮装、クリスマスのケーキやプレゼント、バレンタインの女の子からチョコレート。
それくらい庶民にも分かりやすい何かがあれば、僕でも多少は考えが変わりそうな気もする。
実感を感じられる何か……実感……。
そうだ!
元号が変わる日は、
「(全国民が)映画を見ながらドーナツを食べる日」
これでいこう。宣伝オナシャス!
まぁ僕はそんな感じなので少しでも実感をと、今日もせっせと(平成→令和)ブログを書くのである。
シナリオの話。
最近、一つのアイデアが形になろうとしています。
こういうのどうかなぁと考えていたら、「それじゃ普通によくある話じゃん」と冷静になって思い直し、じゃあこうしてみよう、ああしてみようと色々やっていたら割と良い形になったじゃんと。
思いついたアイデアがよくある話であることを踏まえて、そこにどうオリジナリティを出すか。
このまま書いたんじゃパクリと言われてもおかしくないわけで。
実際はパクっていないにしても、拭えない既視感がそこには確実にある。
書きたいシーンはある。見たい画も浮かぶ。形にすれば既視感を度外視すればそれなりに面白い気もする。
だから捨てたくはない。
これを既視感を感じないほどに別の作品にするにはどうすれば良いか。
それを全力で考えてみる。
こうすれば、ああすれば、
……。
今までの執筆経験から面白くなるであろうノウハウを考慮しつつ、アイデアを弄っていく。
この作業をやっていると、既存の作品(プロ含め)って割と(プロットは)簡単な道を歩んできたものって結構あるんだなぁとよく思う。
これしかないという道を歩んできているんだよね。
こういうアイデアで話を書くと、こういうキャラクターがいて、こういう話になって、最後はこう、みたいな。
アイデアのひな形って言うのかな。よく先が読めたりする話あるじゃん?ああいうのとかそうだよね。
これを忠実に踏襲してセリフを上手く書ければセリフ重視の(ヤンシナのような)コンクールなら、もしかしたら受賞が出来るかもしれないよね。
でも、僕の目指しているところはそこじゃない。(大賞は欲しいけど!)
「飽和状態のシナリオの世界で完全なオリジナリティなんてない」
なんて開き直って言っている人がたまにいるけれど、それを言っちゃうとおしめーですよ。
と、僕は思う。
同じようなこと、どっかの偉人も言ってたかな。そんなのは知らん。
だから僕は(自分で思いつきはしたものの)既存作品によくあるであろうアイデア、
いわゆる「ひな形」をオリジナリティ溢れるものに変えてみようと試行錯誤することにしたのである。
でもひな形ってある意味で完璧だからね。
だってそれが最適解なんですもの。普通に考えて書いていったらこうならざるを得ないってやつが結構ある。
こういう時、「この展開だとこうするしかないじゃん」とか思う一方で、まさに「これを変えなきゃいけない」というジレンマに遭遇する。
例えば「話の展開上、諦めなきゃいけない人間を生かす判断」とか、そうね。
こういう場合、そこでその人を生かせば良いだけじゃんって簡単に言う人がいるかもしれないけれど、
それをやることで矛盾するキャラクターが生まれたり、話の辻褄が合わなくなったりするんだよね。
ひな形のパワー、矯正力と言うべきか。
想像以上に難しい問題なんです。
本来ジレンマってそういうものなんだよね。
一種の哲学的領域に近い。
うん、やっぱりシナリオには哲学要素があるよ。
そこを上手に書けるかどうかが脚本家の腕の見せ所だったりもする。
例えば、最近見たドラマで井上由美子さんが脚本の「緊急取調室」。
(今シーズン3をドラマでやっているけれど、見たことがなかったこともあってシーズン1をアマゾンプライムで見ています)
これのシーズン1の2話目とかがすごく分かりやすい。
(以下、見たことがない人や忘れている人のために書きます)
詳しく書くとネタバレになっちゃうから書けないけれど、
女の子を救うか否かで警察官である主人公が揺れるというシーンがあるんだよね。
簡単に説明すると、
主人公の正義を貫き通すと無実の女の子が死んでしまうんだよね。
でも正義を貫き通さないと今度は主人公のキャラクターが死んでしまうんだよ。
主人公の正義がブレるって言うのかな。設定ブレブレの主人公なんて絶対ダメでしょ?
だからシナリオの展開上は、主人公は女の子を「絶対に」見捨てなければならない。
キャラクターが破綻してしまうと"ドラマの人"が"ただの人"になってしまうから。
でもその正義を貫き通すと、「主人公は正義のために無実の女の子を見捨てた」というレッテルを(僕ら視聴者に)貼られてしまう。
そうなってくると、主人公の魅力が下がるし、話の後味も悪くなる。2話目なのに視聴を辞めてしまう人も出てくるだろうね。
だから主人公の正義は貫き通すのは必然としても、"可能なら"女の子も救いたい。
それでも今回の場合、選べる道は一つなわけで。
まさにジレンマ状態。
これ、最後の方で綺麗にどちらも回収*出来ていて見事だなぁーと思った一方で、井上さんの作家性ならもしかすると女の子を見捨てて〆るかもなぁとも思えた、脚本家視点でもハラハラの良い話でした。
(*両方を回収して更に話を広げて別のキャラクターの魅力づけまでも同時に行っちゃうんだから、井上さん凄すぎ!)
1話完結ものなので良かったらみんな見てみてね!
「緊急取調室」の紹介で長くなってしまったけれど、話は戻ってアイデアのジレンマの話。
よくある話であればある程、そこには「最適解」と呼ばれるパターンがあって、一種のひな形にぶち当たる。
そのままひな形通りに書くのも正解ってか、ほとんどのドラマはひな形に沿って書いていると思う。
考えて書いていたら、そうとしかならないパターンみたいなのってやっぱりあるんだよね。
これを変える時にジレンマって生じ易い。
そのジレンマをどう解決するか。
これが(僕の思う)面白いの源泉になるんじゃないか。
ってのを書きたかった!(毎度ながら前置きが長い)
今回の経験。
初めての経験だったりするんだよね。
今までは何となくアイデアって降ってくるものだと思っていたけれど、こういう湧き方もあるんだなって。
で、今回思いついたアイデアの場合は、
書ける人じゃないと難しいんじゃないかな
という代物ね。
ジレンマのその先。
既視感のその先には、前人未到の領域がある。
地図のない航路、だからこそ難しい。コロンブスすげーや!
自分で言うのも格好が悪いけど、見事なんだよ。
ジレンマを解決するためのアイデアのはずが、そのアイデアを採用することで作品全体も桁違いに面白くなるというシナジー効果が生まれる。
言い換えるなら、ジレンマを解消するだけのアイデアが「シナリオのメインアイデア」になっているんじゃないかってくらいに作品全体が一つのアイデアで変貌するんだよ。
そんなことってある?
これが俗にいう上手いってやつなのかもしれない。
形にして仕上げればコンクールで大賞だって狙えるんじゃないかってくらいに今回は良いものを引き当てた気がする。
ひな形に沿った作品とは明らかな差別化が出来ていて良い意味で異彩を放つし、ベースはひな形だからそう遠くへ外れることもきっとない。
良いとこ取りなんですよ。
こっちの方が「アイデア×アイデア」で斬新奇抜な組み合わせを狙った作品よりも受賞に説得力がない?
僕はあると思う。
キワモノの作品を書く時ってキワモノを書くはずが「誰も思いつかないアイデア×アイデアで攻める」という誰もが行う普通のやり方をやってしまうことってよくあることだと思うから。
というか、僕がそうだった。
だからこれは絶対に書き上げたい!
でも、面白い形にするには圧倒的に今の僕じゃ力不足感が否めない。
……悔しい。
まさかアイデアの段階で挫折するとは思わなかった。
分かるんだよね。やろうとしていることがどれだけ難しいことかって。
自分の脚本家としての力不足を痛感してる。
書ける人ってこういうアイデアを上手に形にできる人なんだろうなって思う。
でも、高い壁だからこそ、乗り越えた先に何かが待っている気もする。
ああ、書き上げたいなぁ!
「まぁまずは書いてみろよ」
そう言われるだろうし、僕もそう思うから、今日から書こうと思ってはいるけれど
わくわく半分で不安も半分。
こういう時にシナリオの先生や友人みたいな誰かがいればなって思う。
プロになればプロデューサーさんに話せたりもするのかもしれないけれど。
NHKのシナリオコンクール。
面白いものを書きたい。
最近はその一心で書いているからかコンクールはどうでも良くて、マイペースにコツコツと書き上げたいと思っていたりする。
今回のアイデアの話だってそう。
良いものだと思っているからこそしっかりと書き上げたい。
あー、こんなんでコンクール出せるかなぁ。
出したいのは山々なんだよ。
一刻も早くプロになりたいと思ってる。それは間違いない。
でもそれ以上に、良いものが書きたいんだよ。
良いものが出来たらNHKに出したいけれど、出来なかったら(間に合わなかったら)出さなくても良いかななんて思ったり。
書くことが本分だからこそ、コンクールを目的にしたくない。(受賞が目標ではあるけど)
最近はどこか別の方向に向かっているのではないかと不安です。
表現者であることは間違いないんだけどね。何なら今の方が理想的な作家像な気もする。
でも、
コンクールなんてどうでもいい。
そんなことを言ってしまうようじゃ、それこそおしめーですよ。とも思っていて。
目的と手段が合っていない気がする。重なっているとは思うけど。
これで良いのかなぁ。
漠然とした不安。