脚本の技術

「何も考えない執筆」から学ぶ作家性

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NHK創作テレビドラマ大賞用のシナリオ、捗っていますか?

 

以前にも話しましたが、僕は初稿を書き終えて推敲の状態です。

でもその推敲も遂に終わってしまい……。

 


 

推敲が終わる。

 

なんじゃそりゃ。と思う人も多いかもしれない。

僕もなんじゃそりゃって思っている。

推敲が終わるなんてことはないからね。

生きている限りアイデアは無限に湧いてくるものだし、その度にセリフの一つ一つを書き換えたくなるもの。

 

だがしかし、

今作は書き換える気が全く起きないのだよ。

 

どうすりゃ良いんだ。残り半月。(締切6月30日)

 

実は今作は今までの経験(悲しき一次落ち)を踏まえて書き方を変えて書いてみた。

いつも書いているシナリオとは全然違う切り口。と言うか、心持ち?でのチャレンジ。

だからか僕の中ではなかなか新鮮味のあるシナリオが書けたつもりで、これをコンクールで一発勝負してみたい。

一体どこまで通用するのかなぁと。

書式や文法の間違いという意味での推敲なら何十週もしているからもちろん問題はないよ。

けれども、ことセリフや表現方法、構成に至っては無限にやりようは残っている。

 

が、今の状態で試したい

 

昨年の一次落ち祭りという失態。

自分のシナリオの何かが変わらないと当然のように今まで通りの結果となる。

今作は変化を意識して書いた。

自分で言うのも変だけど、いつも自分が書くシナリオと比べて同じ人間が書いたシナリオとは思えない出来。

(良いか悪いかは不明)

そんな作品。

 

んなわけで、

ファー。

既にすることがない!

 

 

でもここで自己満足に浸っているようじゃ客観性は培われない……。

ん、今ふと思った。

自分の作品を客観視する技術ってよく聞くじゃん?

「自分の作品を客観視する技術」「腹痛が痛い」「迷路に迷う」そんな言葉遊び感を感じる。

これって一見、大事そうに思えるけれど、

無理じゃね!?

だってさ……主観じゃん。

他人を演じて俯瞰して作品を見たってさ、

それってどこまでいっても自己評価じゃん。

時間が経った後に作品を読んで、当時と感想が変わる現象を「客観視」とは言わない。

冷静になって「ライターズハイ」が終わっただけ。

結局は自分の作品を読んでいるだけなのよね。

 

人に見てもらえば早い。

 

自分とは全く違う人格の他人にシナリオを読んでもらうこと。

客観って本来そういうことよね。

「自分の作品を客観視する技術」

友だちの少ないシナリオライターが悲しみのあまりに作り出してしまった造語であるとここで結論づけよう。(冗談です)

つーかそもそも「客観視」って何。

自我と自作はどうやったって切り離せないよ。

それを「客観視」。

傲慢なのか高尚なのか。

「客観性を持っている人」って聴くと響きが謙虚っぽく思えるから余計に腹立つよね。

この言葉に存在意義ある!?!?ぜってー友だちなれねーわ!!(半ギレ)

言葉狩りみたい。

 

 

ああ、だいぶ話がそれてしまった。

僕の悪い癖だ。

何で言葉にブチギレてんだろ。暇人か。

話を戻したい。

今作も友人に読んでもらった。

というのが書きたかったんだけれども、何がどうしてこういう展開になってしまった……。

 

まぁ、読んでもらったわけです。

で、感想。

 

友人「以前の君らしさがなくなったね!」

 

ふろゆ
はい、ありがとうございます!!

 

僕らしさ、以前はあったらしい。それが当作品では消え失せた。

詳しく聞くと、どうも今作は展開が"素直"に感じるらしい。

悪く言えばトントン拍子に話が進んでいくというか。

普通はこれ言われると落ち込むところだけれど、実は目論見通りである。

さっきも話した、書き方を変えたからだ。

具体的に何を変えたかと言うと、

 

フィーリング鬼大事。

 

(一般的に新人脚本家に求められるであろう)挑戦や意外性など知らん。

兎に角書く。書いて書いて、書き続ける。

今年の目標でもあるその一つを実行している最中に身につけた技。

その名も

 

何も考えない執筆……!(どおおおおん)

 

人生の集大成がここにある。

 

具体的に説明しよう。

よくドラマを見ていて思うこと。

「この後こうなるなぁ」

というその後の展開の予想。

これってある程度ドラマを見ている人なら誰でも出来ると思う。

脚本によく触れているからか最近はセリフも読めるようになってきた。

「セリフも読める」

脚本書きなら多くの人が賛同してくれるかもしれないね。

ここで「○□△◇ー!」って僕らに刺さるようなセリフが来るな!?みたいなやつ。

まぁそこの共感はどうでもいい。

 

で、予想にはもちろん「当たる場合」と「当たらない場合」が存在する。

ここで考える。

 

どちらの展開が優れているか。優れている≒面白い。

 

これを考えてみると、意外なことに「当たる場合」の方に面白い作品って多いんだよね。

「不協和音より協和音の方が共感性が高い」って考えるとドラマでは当然かもしれないね。

そこに活路が見えてこない?

 

ここで普通はさ。

「一般人に当てられる展開ってどうなの?」って思うよね。

だから自分がいざ書く側に回った時、意外性に焦点を置いてしまう。

視聴者が予想できない展開や設定で書こうとする。

これは間違いじゃないよ。新人に求められるものはアイデア力。それは一番言われていることだから。

ちなみに僕もそれを脚本作りの最重要ポイントと考えていつも書いていた。

でも今作はあえて、「何も考えない執筆」で書いてみたんだよね。

こう来たらこう。で、こうなる。みたいな。

限りなく予定調和。不足分をフィーリングで書いてみたんだよ。

(※ある程度のプロットは書いています)

これを試みて面白いのは、登場人物は勝手に動くし、話も勝手に展開していく。

そうやって書けたシナリオはなぜかいつも以上に"生き生き"としていたんだよね。

だからかこれ以上、書き直したくなくなってしまった。

それに、心なしかいつもより面白いものが書けた気がする。筆が乗っていたからかな。

作家性とはなんぞや?と思っている人にはぜひ試してもらいたい。

 

「何も考えない執筆」

これ以上に自分が、いや、作家性が出る書き方はない。

嘘だとか意外だとか思われるかもしれないけど、マジでおすすめ。

新しい試みや挑戦が大事とは言うけれど、どんな設定や構成でも「面白い」には勝てないんだから。

 

今回僕が思ったのは、新しい試みや挑戦にはそれだけで分かりやすい「面白さ」があるからこそ、自分の表現できる「面白い」から離れていってしまいがちだったということ。

良いモン持ってるのになぜか使わない人は大勢いる。

誰も思いつかないアイデアを出せる人は、誰よりも「普通」を知っている。

 

まずは自分を知ること。

 

自分を知らずして何が書けると言うのか

 

嗚呼、なんというモラトリアム人間的発言。

迷路の中央は、僕だからこそ辿り着けた場所なのかもしれない。

いや、ここがスタート地点なのかも。みんなも迷え!

本音はそろそろプロの脚本家として就職したい……。(願望)

 

と、いうわけでNHK創作テレビドラマ大賞用のシナリオは一段落、どころかほぼ終わりました。

 

マジで残りの期間どうしようかな。

新しいシナリオでも書こうかな。

 

あ、でも今回もあらすじあるのか。あらすじやらなきゃな……。

あらすじなぁ……。あらすじ……。

 

筆が乗らない。

 


 

今日は新しい挑戦や試みに対して否定的にも感じ取れる記事を書いてしまったけれど、

僕は前作以前は全てをここに注視して書いていたから、全く否定的じゃないよ。

むしろ推奨しているくらい。

一個前の記事では意外性のある展開やキャラクターが大事って書いたよね。

ドラマで普通はつまらない。だからその常識は崩せと。

で、今回は真っ直ぐ書くからこそ出せる凄み(ドラマの流れを読む的な?)を書いた。

この二つは真逆のことを言っているようで混乱する人が出てくるかもしれない。

ふろゆ何言ってんだ?とうとう頭おかしくなったんじゃないか?

と思う人も出てくるかもね。

矛盾を感じて不快感を顕にする人も出てきたりして……。アンチコメントは優しめでお願いします。

でも、ここでストンと落ちない人の方が逆に伸び代はあると僕は思っている。

なぜなら

ここにある矛盾、難しさこそがシナリオをもう一回り面白く出来るポイント

だから。

 

難しいからこそ挑戦する価値があるし、そこに差別化の可能性はある。

難しさに気づけるってことは掴もうと思えば掴める可能性があるってこと。

 

(言葉での説明じゃとてもとても足りないから、ある程度は感じ取ってもらいたいのが本音だけど)

分からない人に分かるよう要約をするなら、

新しい挑戦や試みを行いつつ、筆を乗らせる力。

持っている作家性(経験や価値観、空気感)に度肝アイデアを乗せて書けるようになること。

海流の流れを読んで自分でコースを選択し、目的地に行けるよう泳ぐようなイメージ。

対岸に辿り着くためには「海流を読むスキル(アイデア)」と「凪いだ海を泳ぐスキル(作家性)」が必要。

でも両方を持っていても「波のある海を泳ぐ」のは難しい。

それも「先人の辿ったコースを辿ってはならない」。

その難しさ。

僕もそうだったけど初学者はいきなり「波のある海を泳ぐ(プロレベル)」。

だから溺れる。

溺れるくらいならどちらか一辺倒を推した作品の方が最終的な評価は高い。

「海流を読む」か、「凪いだ海を泳ぐ」か。

もっと言えばこのスキルが評価されるからこそビギナー一次突破というものがこの業界には存在する。

・頭でっかちの人は頭を真っ白にして一本書き上げろ。

・勢いで書いている人は一ヶ月くらいプロットを練って書け。

スタート地点は間違いなくそこ。「波のある海の泳ぎ方」はその後。

これはそのまま今作、いや、今の僕にも足りない要素である。

だから月次なことを言えば、良いとこ取りをしろってこと。

今人気の作品を量産している旬の脚本家、古沢良太さんや野木亜紀子さんはその両立がバッチリと取れているんだよね。

だから人気がある。ヒットする。

彼らの面白さの裏付けはここにあると、僕は今作を書いて確信が持てたよ。

そういった一部の凄腕脚本家は例外として、

現状のドラマで展開が読める作品が多いのは、その両立ができる人はプロにもまだそんなにいないのかもしれないということ。

あえて協和音を狙って書いている節だってあるのかもしれないけどね。

でもそんな彼ら彼女らがプロで頑張れている事実は裏返せば、業界が作家にどちらをより求めているか一目瞭然よね。

ここで面白いのは世間はその逆を求めているということなんだけどね。ないものねだりかも。

 

 

 

ドラマを見ていて展開やセリフが予想できる人にとって、新しい挑戦や試みってすごく魅力的に思えてならないよね。

僕もそうだった。

そういう人ほど、一度真っ直ぐに書いてみた方が良いと僕は思う。

だって

「シナリオの展開やセリフが読める」

それって最強の武器じゃん。良さじゃん。作家性じゃん。

培ってきた感性が無意識とはいえ活きているんだよ。

それに、その感性を使って書き上げた作品は、意外と普遍的なものにならなかったりするんだよね。

何でだろうね。そこは分からないけども。(同じ人間はいないってことかな)

でもさ、出来た作品が普遍的じゃないとなると、そこに欠点ってもうなくない?

それなら自分の良さを十二分に発揮できる土俵で戦おうよ。(自戒)

その先に友人の言う「以前の僕らしさ」。

つまり、新しい挑戦や試み(設定や展開)が活きる場所があるのかもしれないね。

そう仮説立ててみて次作の執筆は頑張ってみたいと思います。

 

僕は迷路に迷い込んだわけじゃない。

迷路の中央で立ち止まっていただけ。

どちらに行こうかと考えていたわけでもなく、

ここがさもゴールかのように風呂敷を広げてランチタイムをしていただけ。

byふろゆ

 

 

そう思いたいね。

 

あ、何か詩的。

この作品のタイトルは、

「スランプ」

だね。

これ以上にハマっている題はないよ。

 

よっしゃ、またポエム記事を書こうかな。(やめろ)

 


 

p.s

質問。

最近くっそ真面目な記事ばかりを書いている気がするので次の記事あたりでハンバーグ師匠ぶち込んだ方が良いですかね?

このブログの読者層の需要が分からないんだよ。

今日みたいな熱いシナリオ論ばかり語っていて良いんかな?飽きない?

と、言うわけで。

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