雑記

プロを目指す覚悟なんてキレイなものじゃない

投稿日:2020年11月9日

終わりが見えない


 

最近は専らテレ朝のシナリオばかりを描いていて。

ホームドラマは一段落付いたので今は配信ドラマを書いている。

描きたい話はずっと前から決まっていて、

それをここ1週間はシナリオに起こしているのだけど、

 

20枚描いては消し、20枚描いては消し

 

その繰り返し。

見せ方が下手なんだよなぁ。

絶対面白くなるはずなのに、変に説明的というか、もっと情緒に直接訴えかけて、かつグーッと引き込んでくれるような展開にしないとダメなんだよ。

もう遅いから起きてまた書こうと思うけど、

一から書き直す作業。もう何回やってんだこれ。

 

まだ時間があると思っていたけど全然そうでもない。

 

ていうかぶっちゃけて時間ない。

どうも順序立てて書くのがいけない気がする。時系列を入れ替えて描いてみる。

ハコ書きの段階では面白いと思ったんだけどなあ。

その辺りの面白さを予測する力は僕には全くないようです。

描かないと見えてこねえ。

意外とくっそつまらんプロットでも書く人が描けば面白くなるんかね?

それはそれで興味あるかも。

 

ヌガアアアアア。みなさん頑張りましょー!!

 

 


 

Zoom勉強会をしている時に、

 

プロの脚本家を目指す覚悟

 

の話が出てきた。

以前提出した僕のプロットからはそんなものが滲み出ていたらしく、なかなか興味深いもので引き込まれたという。(※出来は悪い)

嬉しかったけれど、内心では複雑だった。

確かに「プロにはなりたい」と心底思っている。

でも、僕のそれはそんなに崇高なものではなかったりする。

 

人は平等ではない

 

人は成長するに連れ、それを痛感する。

 

脚本家になれる人は一体どんな人間か

 

誰もが一度は考えたことがあるかと思う。

その『答え』が分かれば簡単なことなんだろうけど、それが分からない僕は、

 

懸けるもの

 

この大きさが全てだと思っている。

例えば『時間』。

これは努力が最強とかいう単純な根性論ではない。

『要領の良い人間』の30分と『要領の悪い人間』の30分は違う。

会社の社長と平社員。

東大卒とF欄卒。

美男とブ男。

時の流れは同じだとしても、それぞれの30分の重みは違う。

凡人がいくら努力したって天才の一撫でで全てが吹き飛ぶ。

それと同じだ。

だから僕の場合は『時間』だけを懸けてもダメだと悟った。

『どうせ僕の人生なんか……』

そう常々20年以上も過ごしてきた人間の懸ける時間に、何の意味もない。

 

だから僕は、

 

家族も、仕事も、結婚も、故郷も、健康も、友人も、世間体も、善意も、未来も、自分さえも、

 

全てを懸けた。

これは別に『覚悟』なんてキレイなものではなくて、そうでもしないと彼らに勝てないと思ったから。

恵まれ愛され育った人たちの懸ける30分に、僕はどうあがいても勝てない。

だから懸けられるものは全て懸けた。

別に惜しむことでもない。

人生で唯一、生の実感を得られたのは自分のシナリオが形になった時だったから。

 

これは覚悟ではない。

 

捨て身

 

でも、これだけ全部を懸けてもダメな時はダメなんだろうなって思う。

それが現実。

最終的に失敗してバカみてーと笑われる日も来るだろうね。

実際バカだから仕方ねーよ。

そんなバカが全部懸けたって、代償は少ない。

 

ローリスクハイリターン

 

バカにしてはロジカルでしょ?

 


 

初稿が完成してから2週間くらい怖くて寝かせていたプロット、

先ほど遂に見てもらう決心がついて勉強会の会議に載せてみた。

個人的に作品交換もしていて、人の作品を読んで刺激を貰っている。

人の作品を読むと、

勉強なるなー。うまいなー。って思うより、

この人のこういう作風好きだなーって感想が強い。

魅力的だなっ自分には作れないなって思う。

なんかこう、作品のクオリティだとか面白さとか全部度外視して、

シナリオの向こう側に作家が見えてくるようなそんな感覚って言うの?

あれが好き。だから読んでいるし、読むの楽しいなって思う。

作家の顔を浮かべながら読むんだよね。

分かる人いるかな?

 

ちなみに僕のプロットは無機質で作家の顔が見えてこないらしい。

自分がそんなんだから人の作品にないものねだりをしてしまうのかも。

 

個性がないから顔を奪う

 

ジブリ診断したら僕はきっとカオナシですね。苦笑

 

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