2020年テレビ朝日シナリオ大賞の締切まで1週間を切った
今年はテレビドラマ部門と配信ドラマ部門で2作品を出そうと思い、早めに取り掛かった。
早めに書き出したのもあって、初稿が完成したのは締切半月前。(もう片方は一ヶ月前)
早めに完成したらしたで、
何しよう状態
言わずもがな、推敲や校正はめちゃくちゃ大事だ。
そのために余裕を持って書き上げたのだ。
が、ここに来て『毎日作品を読み直しているだけ』。
みんなすっげー頑張って描いている時期なのに、僕はこんなんで良いのだろうか。
別ベクトルで焦燥感。
今年のホームドラマ部門では、自分の『今まで学んできた』集大成をぶつけた作品を書き上げた。
これが僕の今の筆力なんだ、そう胸を張って言えるシナリオ。
人の感想もバッチリ聞いて、自分なりに納得のいくまで書き直した。
そんな優等生? なシナリオで勝負する。(しかし、元が荒れているため平均点は低めだ)
対して配信ドラマ部門では、自分の『描きたい世界観』を最後まで描き切った。
これが俺の作品なんだ、そう胸を張って言えるシナリオをずっと描きたかったし、ずっと望んでいた。
だから配信ドラマ部門では人の意見を全く聞かずに描くことに決めた。
ずっと一人での作業。そのために勉強会にも未提出だ。
この作品でありのままの自分を出し切りたかった。そんな破天荒な作品。
こちらの作品はテレ朝の締切が過ぎた後にでも人に読んでもらって、色んな角度からボロクソに言われようと思う。
意地? に似たものなんかな。
自分の感性が他人より優れているとは微塵も思っていないし、
作品を読んでもらった方が絶対に良いものに仕上がるのは分かっているのだけれども、
自分のありのままで勝負してみたい
そんな感情が僕の中に確かにある。
描き終えてみて、粗だらけでボロクソに言われるのは必至な作品だなと笑ってしまったけれど、僕はこっちの作品の方が断然好きだ。
だから今年はこの二極化した作品で勝負してみる。
冒険している癖に保険をかけて2作品書き上げたというのは実に僕らしいね。
これが己の弱さである。
あー。怖いな。
どちらも一次落ちしたらスッゲー凹むと思う。
この怖いって感情、脚本書きなら痛いほどに分かるよね?
スッゲー怖い
この怖いの強弱は、
『落ちることへの慣れ』だったり、
『頑張った時間』だったり、
『作品に掛けた想い』だったり、
色々な要素が絡み合って生まれるものだと周りを見て思う。
最近の僕は落ちることに少し慣れてきた気がしていたけれど、
今回描いてみて、
そんなことは一切なさそうだ
どうも締切前に急いで書き上げてしまうと、僕の場合はそういった感情が弱めになるらしい。
『ギリギリに描いたから』
そういう言い訳が出来るからだと思っている。
だから何だろう。今年のテレ朝の結果はすごく怖い。
1ヶ月前に書き上げて一次落選(それも二作も)
字面だけで吐きそうになるね。
締切前に描いている人、僕の想像以上に多そうだけどみんな本気で頑張ってくれ。
僕よりも努力して、僕と同じくらいに凹んでくれ。
だって落ちた時に僕だけが滑稽じゃんか。
これからの1週間が本当に勝負。
ここでどれだけ踏ん張れるかが後の『怖い』に繋がる。
『怖い』は名誉の負傷
僕のブログ読者は皆、この傷を背負っていてほしい。
物語の整合性を取るのは、とても難しい。
整合性が取れないシナリオというのは、その時点で視聴者や読者をそこに置いてきてしまう。
だから整合性が取れるよう、描きたいものとは別に「書かなければならないもの」をきちんと描ききるのは脚本家としての技術だ。
しかしこの、
「書かなければならないもの」
というもの自体が正に白黒ハッキリしたものであるから、このシーンを描いたことで他のシーンとの整合性が崩れることが往々にしてある。
それにはプロットの詰めが甘かったり、登場人物がブレていたり、ご都合主義になっていたり、色んな要因があると思う。
この整合性の恐怖。
整合性を取りたいがためにシーン全体が重くなりつまらなくなったり、
既に整合性が取れているにも関わらず不安で余計なシーンを描いてしまったり、
整合性を取ろうとして他に飛び火して物語全体のクオリティを下げたり、
実に様々な形で僕らを苦しませる。
これらに経験上敏感になっている僕は、
きちんと説明できているだろうか
何か間違っていないだろうか
これで果たして大丈夫なのだろうか
常に悩まされている。
きちんと描けていると思っていても、絶対どこかに粗がある。
そう思わせてくる。
心の底から満足のいく作品を描ける日なんてきっと来ない。
見えない恐怖に日々、悩み続けている。
あー怖いな!!
そうやって不安に駆られ、僕は今一度作品を読み返すのである。(冒頭に戻る)