思い出

城戸賞の応募が辛すぎた話【心が折れた】

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城戸賞に出せた人はみんな天才!

19日は城戸賞の締切日でした。

出した方々はお疲れさまでした。

昨年は400本超えの応募があったみたいで、今年もそれくらい多くの人たちが2時間ものをしっかりと描き終えたのだと思う。

各々の執筆ドラマを想像すると、何か込み上げてくるものがあるね。


 

今年の城戸賞は締切必着の持参不可だったので、ギリギリ組は18日中に出した人が多かったのかな。

当日応募は16時必着ということもあって、相当なチャレンジャー。

でも多分いたと思う。

無事に全員届いていますように!!

前日応募でも郵便局の機嫌次第なんだけどさ。

前日に速達で頼んで、

「いつ頃に届きますか?」

と聞くと、

『明日のお昼頃には届くと思いますが、確実はありませんので(念押し)』

と経験上100000%言われる。

これはマニュアルなのだろう。

過去に言われなかったことがない。

でも確実性を聞いてるわけじゃないんだよな。

別のところでメンタル削らんといて……。

 

みんなはもっと早く出そうな!!

 

えー、はい。

城戸賞参加出来ました!

 

やったぜ……。

何気にコンクール5年目にして初参加。

僕も18日の午後に郵便局に走りました。

 

はああああ。乙!!

 

『応募した』と記事に書くのは簡単だけれども、今回の城戸賞応募では色々ありまして……吐

 

僕のコンクーラー史上、最も残念で、最も酷く、(血の)涙あり、(謎の)感動ありの応募劇だった。

ダントツで一番。疲労感はエベレスト登頂くらいある。

いや、登ったことはないけども、気持ちはそれくらい。

 

ここまでドラマ的な応募をしたのは、今年の城戸に限れば他の応募者の中でも頭一つ抜けている気がする。原稿でドラマを語れ。

 

 

今日はその話をさせて欲しい。

ひたすらに辛かったんだ……。


 

 

『城戸賞』

 

長編映画脚本(2時間前後)を募集するコンクールである。

2時間作品を描いたことがある人なら分かると思うが、2時間ものは化け物である。

1時間ものとは全然違う。

これを一緒だと言っている人は何かすごい勘違いをしているか、ユーもうプロになっちまえよって言いたくなるくらい天才肌なのだと僕は思う。

 

城戸賞は、ゴジラだ

これは誇張ではない。

『殺れ』と命じられても、万が一にも敵う相手ではない。

ちなみに1時間ものは、戦隊シリーズの中盤辺りに出てくる絶妙な嫌がらせをしてくる悪役くらいの強さだと思っている。

『ハハハ。SNSのアイコンを全部オレ様の顔アイコンにしてやったぜーヒャッハー』

とか言いそうな、それくらいのやつ。

こっちは民間人でもどうにかすれば勝てそうな気はする。

中には塩を適当に投げていれば死ぬようなクソ雑魚ナメクジ星人もいるだろう。

弱点さえ突ければ誰にでもワンチャンスある。

でもゴジラは無理。

塩をどれだけかけようが、焼け石に水。糠に釘。のれんに腕押し。

 

触れたら、死ぬのだ

 

この事理明白を前に、400人近くも挑もうとしている人たちがいる。

それだけでマジですごい。日本の未来は明るい。

城戸賞は出すだけで神だ。

仮に一次でおっ死んでも二階級特進していいし、もうみんなプロになってほしい。

 

相手がゴジラってだけでも『もう無理……』と叫びたくなるくらいなのに、ここで更に心を折ってくるのは過去の城戸賞の受賞作たちだ。

僕が知っているのは、

のぼうの城、超高速参勤交代、昨年の受賞作、一昨年の受賞作……。

その辺りの作風だけを摘んでみても、ストレスで毛根が3000本くらい消し飛ぶ。

3000本は控えめに言った数字だ。

どれも題材のベースレベルがおかしい。

それをエンタメに昇華して、濃厚ドラマを交えて2時間書き上げる。

 

……人間(技)なのか?

 

作風一つでさえ敵う気がしない。

まあ相手はゴジラだし? 勝つことを考えること自体……ね。

 

 

城戸賞に関してはずっとそんな風に思っていた。

だからコンクールの存在は知っていても、見て見ぬ振りをしてきた。

ちなみに5年間コンクーラーをやってきて、参加しなかったことを後悔したことは一度もない。

毎年一次通過者の一覧を見て『すげーな』と蚊帳の外から、感嘆の言葉を呟くくらいには部外者をやっていた。

 

でも、今年は違った

 

当初は例年通り出すつもりはなかった。

でも……

普段参加している勉強会の城戸賞参加率が

 

異常なんよ

 

アクティブの人はほぼ全員出したんじゃねーかなってくらい。

ゴジラに挑むだけでもヒーローになれるのに、勉強会のメンバーだけで戦隊が組めてしまっていた。

彼ら彼女らは(良い意味で)『頭がおかしい』そう正直に書きたい。

 

え、僕がおかしいんか??

 

もしかして、コンクーラーは城戸賞応募して当然なんか……?

 

どちらにせよ、ここで出さなかったら俺……不登校になっちまうよ。

「プププ。ふろゆさん出さないってマジ? 熱いのはブログ内でだけなん??」

そう心の中で言われちゃうのは辛すぎる。

いや……

 

言ってるのは僕だ

 

それが許せないのは誰よりも自分自身だった。

はあ。

ただでさえ勉強会で空気やってんのに、ここで引いたらもう発言権すらなくなるんだよな。

空気なだけならまだマシなんよ。塵になっちまう。

 

やるしかねえ……

 

そして8月の頭。

大阪シナセンの公募を終え、少し休みたい気持ちはあった。

でも相手はゴジラだ。

メンタルよれよれでも始めるしかない。

早速城戸賞のプロット作りに取り掛かった。

良いプレッシャーだったと思う。

仲間って尊いね。

それに、周りに影響されたとはいえ城戸賞に挑もうって思えただけで大躍進だった。

そして、

城戸賞のアイデアは、君に決めたっ!!

と言えるようになったのが、8月5日くらい。

そこから一気にプロットを書き上げた。

そして、

 

スゲーつまらないものが出来た

 

この作品で応募することは、

ゴジラに木の棒で殴りかかりにいくようなものだった。

 

途方に暮れた

 

悔しいけれど、実力不足だと思う。

30枚や50枚で何とかレベルの僕に、100枚のシナリオなんて描けるはずがなかった。

 

……それでも出したかった。

 

 

8月10日。

5日間足掻いたけども、何も好転しなかった。

締切ほぼ1週間前。

 

僕は最終手段に出た。

 

プロットなしでシナリオを描く

 

一応書いておくが、プロットは用意してから本編を始めた方が良いと思う。

プロットなし執筆、これは最終手段なのだ。

途方に暮れてにっちもさっちもいかなくなった結果を、賢い描き方とは言えない。

 

ここでプロットを捨ててどうシナリオを進めるかと言うと、

過去の受賞者たちの、

『登場人物が勝手に動き始めてくれましたー』

という凡人には理解の及ばない何それ的エピソードを強引に実践する。

(簡単な準備)

1.魅力的なキャラクターを2人考える。主人公と相手役だ。

2.主人公と相手役を絡ませてみる。

3.そこに現れるであろう課題(葛藤)を洗い出す。

4.主人公たちの気持ちに深く共感する。

 

これを脳内でやる。準備はこれだけ。

 

後はひたすら勝手に登場人物が動き始めてくれている体で描くのだ。

俺は天才俺は天才俺は天才ィ!!!

頭の中で高速詠唱しながら描き続ける。

俺は天才なのだ。

天才のシナリオは凡人に理解は出来ない。

出来あがったシナリオは、他人には不評かもしれない。

我に返った時、自分でさえ納得のいかないものに仕上がっているかもしれない。

でもそれで良い。

天才には孤独が付き纏うのだ……。

ひたすら自分を誤魔化して、好きなように描き進める。

 

思えばプロットがないシナリオを描くのは2回目だった。

前回は今年のヤングシナリオ大賞

今思い出しても吐きそうになる嫌な思い出だ。

あれ以上はない。そう思える地獄だった。

軽く、いや、ぶっちゃけるとトラウマになっている。

『24時間で一から書き上げたのは素晴らしい』

そう捉えることも出来るが、

行きあたりばったりの中、根性のみで書いただけである。

色々と顧みても、二度とやりたくない。

一次通ったのは不思議でならない。

 

それをもう一度やる。

 

『24時間本気を出せば1時間ものを描ける』という過去の経験から、

今回は1週間以上あるし

『余裕っしょ』

そんな風に思っていた。

 

城戸賞は20×40で50枚がボーダーだ。

1日5ページ書けば間に合う。

5ページ×8日(締切まで)で40ページ。

計算上は足りなかったが、シナリオ後半になれば筆も乗ってくる。

余裕で間に合う計算だった。

 

多分ここまではシナリオライター界隈でもよくある流れだろう。

全く思い浮かばなくて、それでも死ぬ気で捻り出して書き上げるマン。

そんな人は400人もいれば毎年何人かいるだろう。

僕もその一人だっただけだ。

 

でも違ったんだ……。

 

事件の日が訪れる。

 

8月14日、朝。

 

シナリオは17ページまで来ていた。

20×20なら30枚を超えたくらいだろうか。

一つ気づいたのは、思ったよりペースが悪かった。

『目標は最低5ページ。でも気合入れて一日10ページやる!』

そう思っていたけれど、2時間ものはゴールが中々見えない。

書いても書いても全く進んでいない気がして、都度心が折れる。

メンタルの低下に比例して筆も遅くなっていた。

それでも17ページまでは来た。

なんとか応募は出来そうだ。

少し余裕も出てきたことだしと、気分転換にネットサーフィンを始めた。

 

 

……。

 

突然パソコンの挙動がおかしくなった

 

え。壊れた? ここで?

最初は何かパーツの異常かと思った。

が、見知らぬソフトが次々とインストールされていく。

 

何これ……

 

呑気にしばらく傍観していた。

そしてやっと気づく。

 

ウィルス感染だ

 

今まではウィルスソフトを入れていたこともあり、ウィルスとは無縁の日々だった。

しかし目の前にあるそれは、間違いなくウィルスの動きをしていた。

 

は? 何で?

 

バックドア(パソコンの裏口)からの攻撃だった。

経由は恐らくフィッシングメール。

急いでインターネットを切断する。

ハード面は金で何とかなるけども、情報を抜かれるのはシャレにならない。

まずはウィルスソフト(有料)を使ってのスキャンを始める。

……

お使いのパソコンは正常です。

こいつ平気で嘘を吐いてきた。

金返せ。

目の前では次々とデータが謎のプログラム(読み込み不可)に置き換えられていっている。

正常なわけがない。

しかし色々試行錯誤しても、何も出来なかった。

 

思い出の写真やデータ、ゲーム。Wordソフト。過去の応募シナリオ。

そして、城戸賞のファイル。

その全てが白ファイルと、謎の拡張子に変わった。

もちろん開くことは出来ない。

 

パソコンとは関係ないデバイス(スマホ)で症状を元に情報を集める。

その正体は、

 

ランサムウェアウィルス

 

これだった。

僕の感染したものをネットで調べてみると、8月10日頃に世界のどこかで爆誕した最新のものらしい。

ウィルスソフトをまんまとすり抜けたそいつは、僕のパソコンを秒殺で文鎮と化した。

このウィルスは、パソコンの保存データを全て暗号化して使用不能にした後に困っている被害者を

『データを返して欲しければ、15万送れ』

と復号化コード(プログラムを正常とするもの)をネタに揺することを目的として作られている。

 

製作者はマジで地獄に落ちて欲しい。

 

ここで

『ウィルスソフトの会社がコードを解析すればいいだけじゃん』

と考える人もいるだろうが、この暗号化はオンラインを介して犯罪者のパソコンとデータ通信をする。

そして任意(被害者それぞれ)のランダムな文字列で暗号化を充てがうといった鬼畜仕様なのだ。

ゆえに僕のパソコンを正常化出来るのは、データをおかしくした当人だけが持ち得る情報だけなのである。

要するに『金を払うしかない』。

ネットで調べたところ、複合コードの解析は世界中のパソコンを使っても4年掛かる。

とかいう気の遠くなるような情報も出てきた。

ちなみに大手カプコンも昨年ランサムウェアウィルスの被害にあっていて、泣きを見たとのこと。

話を戻そう。

何が言いたいかというと、

書いた城戸賞は消え、もう帰ってこない

ということ。

締切前に諸々の思い出と共に、城戸賞のデータが丸々と消えてしまったのだった。

ついでにパソコンも壊れた(と言い切れる損害)。

 

泣いたよね

 

食欲も失せた。放心状態だった。

この後やることは単純だ。

 

パソコンを初期化してWord使用可能レベルまで復旧する。

 

隅々まで感染したパソコンを使い続けるわけにはいかない。

たくさんの思い出とシナリオを自ら消して、初期化するしかなかった。

 

泣いたよね

 

……。

 

パソコンを出荷当時の状態に戻せたのは8月15日の深夜だった。

 

締切は周知の通り8月18日。(19日はカウントしない)

 

つまりあと3日+数時間だった。

 

流石の僕もこれには心が折れた。

やる気だけで保っているふろゆさんが、何のやる気も起きない。

城戸賞のハードルは、ゴジラを超えた何かになっていた。

 

Officeのインストールをしてシナリオを描き始めるしかない。

そんなことは頭で分かっていても、体が動かなかった。

Windowsの青い初期背景をただ眺めていた。

今回ばかりは無理……。

経緯を全て説明して断念しよう。

ブログのみんなにも謝ろう。

はあ……。さらば、城戸賞。

 

……。

 

『お前はそれでいいのか?』

 

聞こえてきた。いつものやつだ。

「ウィルスを言い訳にすんじゃねーよ。やれ!!」

人の気も知らないで文句ばかり言ってくる悪魔を僕は心に飼っている。

 

「何だかんだ言っても自分に負けず応募出来るふろゆさんが好きですねえ」

過去にシナリオ仲間から言われた言葉が頭の中を過ぎる。

実際は全くガムシャラな男じゃないけども、その期待を裏切りたくはねえ……。

 

ブログに

『城戸賞は出せませんでした』

と言い訳付きでアップするのを与太話と思われるのも嫌だった……。

 

 

……。

 

城戸賞に出そう

 

 

城戸賞に出そう!! とはなれなかった。

感嘆符を入れられるほどの余力はない。でも、ゆっくり立ち上がった。

コンクールは自分のことだし、出さなくても誰も咎めねえのかもしれねー。

ただ、

こっちは色々と込み上げてきてんだよ。

やるしかねえって……。

それから3日間。一睡もしないで締切まで書き続けた。書いて書いて、書き続けた。

72時間超のマラソン。

ヤンシナの24時間が可愛く見える。

今回は2時間ものということもあって、ゴールも果てしなく遠かった。

 

集中力に自信のある僕も、流石に気が散った瞬間は何度も訪れた。

今回に限れば筆を折りたくもなったが、それさえも迷える時間がそもそも残っていなかった。

筆を止めたら間に合わない。四の五の考えずに描く。いや、書く。

 

『1時間に2枚(20×20で4枚換算)書いて、時間が余ったらその時間は少し休む』

そんな『あの電柱まで走ろう』的なIQ低い小学生ルールを定めたりして、自分で工夫しながら走り続けた。

気分は夏休み最終日に宿題を貫徹する小学生だった。

周りはみんな思っている。

『終わるわけないのに……』

でも当人だけは本気。そんな状態だった。

無様に描いている僕と、客観視が出来ている俺。

ヤンシナの時とはまた違った脳内共同執筆だった。

 

初稿が仕上がった。

小学生の気合である。

 

8月18日のAM9時頃だった。

 

この日は一日空けていた。

推敲のために用意した一日だったが、当然フルには使えない。

見直しをしながら全体の流れを整えるところから始めた。

出来上がった作品は、どう見ても書き殴ったシナリオだったからだ。

整合性を保たないことにはドラマ以前の問題。

見直しを一通りするだけで時計はPM2時になろうとしていた。

2時間ものは一つ一つの作業も倍の時間がかかる。

もう時間がなかった。

執筆者情報とあらすじをささっと書いて速攻で印刷して、郵便局に走った。

印刷機のドライバを入れ直したりで無駄に時間を食った。

そして速達でお決まりのやり取りをやって帰宅。

 

寝て起きたら、19日の朝だった。

 

応募、したよな???

 

達成感とかそういうものを感じる前に、

あの日々は夢だったんじゃねーかと思えてくる。

 

 

間違いなく人生で一番辛かったコンクール応募だった。

 

これ以上はない。

そう思いたい。

 


 

いつもはプロットをしっかり書くし、

推敲、音読と5回以上はするのだけど、今回の城戸賞は推敲が一回のみ。

 

もちろんクオリティは過去最低である。

 

でもブチ切れたり、悲しんだり、辛かったり、悔しかったり、色んな想いを背負って描いた。

シナリオにはその感情をそのままぶつけた。

プロットもない状態だったから、間に合わせるには自分の心情をひたすら書くしかなかった。

思い返せば消えた17枚と、後に書いた17枚では流れは似てても全然違う仕上がりになっていたように思う。

 

そういう意味では、

 

今しか書けないこと

 

を書けた気がする。

 

色々と最低な応募だった。

が、やりきれて良かった。と、安堵はしている。

 

推敲のときに文字が曲がって見えた時は怖かった。

人は3日寝ないと文字が踊る。ということが分かった。

 


 

今月はこれから南のシナリオを描くかもしれない。

ラジオシナリオは全然描ける気がしないけれど、聴いてみたい作品が少し浮かんだから形にしてみたい。

城戸賞の地獄に比べれば、ラジオドラマへの挑戦はぬるま湯だと思っている。

……ぬるま湯、だよな????

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