脚本の技術

『猫』と書いてドラマと読む

投稿日:2022年6月1日

猫になったんだよな、君は

(猫/DISH//)

シナリオは僕にとって猫だ。

猫がいない世界は不安で嫌で、気怠い。

シナリオを描けない日々は、心にポッカリ穴が空いたような、モノクロの毎日。

 

……。

 

そんな穴を埋めたくてシナリオを描いている。

本当はそっちなんじゃないかと思う時がある。


 

前回の記事で、

・構成

・ドラマ

・キャラクター

・セリフ

・独創性

全部やれ。

と言う主張をした。

しかし、それでは何の解決にもならないだろうなあと思う。

ズルい言い方をしてしまった。

だから少しだけ、自分が執筆の時に意識していることをこの記事では書いていく。

創作で

『何から考えるべきか』

ということ。

全てを魅力に富んだものにしなさい。

これは前提条件だ。

自分に出来ることは全てやれ。

優先順位を付けるな。

これに違いはない。

それでも、何から取り掛かるか。

その順序を決めることは可能に思える。

 

創作には順序というものがある。

僕の場合は、

構想→プロット→箱→執筆→推敲

大きく分けると5段階。

他にもやり方があるかもしれない。

違う人はこういう書き方もあるんだなーくらいの気持ちで読んで欲しい。

ちなみにこの5段階を細分化することで、

最初に挙げた5点(構成、ドラマ……)を考える必要が出てくる。

で、これは僕の持論になるけども、

 

プロット

 

この段階で良作か否かが決まる。

悲しきかな本編を執筆する前に受賞レベルか否かの決着は付いている。

出来の良くないプロットをプロの脚本家が仕上げても、あまり良いものは出来ない。

と言えば何となく分かってもらえるだろう。

プロットはものすごく大事だ。

プロットが上手く描ければ、時に自身の筆力以上に力が出る。

もちろん相応の努力が行えてこそだが。

 

ではプロットを作る上で何から考え、取り掛かるべきか。

ここで先ほどの5点について考える。

 

・構成

・ドラマ

・キャラクター

・セリフ

・独創性

 

プロットだし構成が一番!!

と言いたい諸君もいるだろうが、ここでは最も変えられないところ、

いや、変えてはならないものを軸に肉付けしていくことが合理的に思える。

それは、

 

ドラマ

 

だ。

他はぶっちゃけどうとでもなる。

いや、違うな。

ここは視点を変えて考えた方が賢い。

自由に描けるから『ドラマ』に合わせて他は組んでいくべき。

正しくはこうだ。

他を先行して執筆した作品によく見られる例を挙げる。

 

オチまで完璧。くっそ面白い作品だぜーヒャッホーイ!

→人間が描けていない

キャラクターが生き生きと会話している。ストーリーもある。完璧だ。ヒャッホーイ!

→何が言いたかったか分からない

このシチュエーションめっちゃ良い!ケレン味盛り沢山!誰にも真似出来ないね、ヒャッホーイ!

→中身がない

 

どれにも『ドラマ』がないことが分かる。

こういった作品はとても多く見る。

プロット段階で躓いてしまった典型的例。

なぜこういった作品が生まれるかと言うと、当然『ドラマ』を軸に描こうとしていないから。

『画』を描きたい描きたいが先行して、

応募するものがドラマコンクールであることを失念してしまった結果こういう作品が生まれる。

まずは

 

『ドラマを描くこと』

 

僕の考えるドラマの定義は『衝突による心の揺れ動き』である。

人によっては『葛藤』や『対立』と言い方は違うのだけど、

僕は理解のし易さからこういう言葉選びをしている。

 

『ドラマ』にはどんなものがあるのか

 

まずここから考える。

自分の普段の生活、考え方、価値観を深掘りして、モヤ付きや、苛立ち、気持ちを整理して

『自分の描きたいドラマ』を定める。

この『ドラマ』には普遍性(共感)があり、かつ、時世も伴っていると良い。

時世が必要とされる理由は、昨今では数多の作品によって既存ドラマは描き切られているから。

独創性を最大化するためには『今』の変わりゆく世の中に焦点を合わせる他ない。

『令和を生きる作家』でなければ『挙げた五点全てやる』、この前提条件がそもそも満たせない。

そのために「今を切り取ること」が必然的に求められる。

NHK創作は社会派だから~と言う人もいるが、

正直どのコンクールでも独創性は見られていることだと思う。時世から逃げるな。

『自分のドラマ』に共感して『描きたい』そう思えた時に作品は始まる

スタート地点から失敗してしまうのでは非常に勿体ない。

プロットで失敗したら

箱→執筆

の時間が丸々無駄になる。

結果論になるが、傍目には習作を描いているだけなわけで。

習作が悪いとは言わないけども、

既存作品の劣化コピーを作っているだけだったり、そもそもドラマシナリオではなかったり、

失敗から得られることだってある!

という考え方も一つだが、そもそも最初(導入)がこうだから云々というとこから反省し始めたら、

得られる経験値も少なくなり、根性論大好きふろゆさんでさえもオススメ出来ない。

 

プロットで戦える作品

 

まずはそこを全力で目指す。

構想→プロット→箱→執筆→推敲

結局どの過程も大事ではあるけども、最初のラインがプロット段階でまず引ける。

良作が生めるか否かのライン判断。

この判断自体にはセンスが伴われると思うが、そこを信じずして脚本家にはなれん。

 

行けると思ったら

『最後までしっかり描く』

 

無理だと思ったら

『捨てる』

 

凡作でも描き始めたら最後までやれという考え方はある。

でも僕はこの段階で一度考えてみても良いのかなと思う。

描き始めたら最後、脱稿まではラインの連続で休む暇はない。

苦しく思う瞬間が幾度となく襲ってきてもプロットを信じ、

自信を持って最後まで走り切ることが大事に思う。

 


 

ここまで書いて言うのもあれだけど、好きな順番で書けばいい。

好きなように描いた作品が受賞……ということは多くある。

僕は僕、君は君。

そして創作コンクールは個人コンペ。

だから好きにやってくれ。

異論はいくらあってもいいし、好きな創作をすれば良い。

まあ僕に言われるまでもないとは思うが。

 

一脚本家志望の一意見としてこの記事と向き合っていただければ幸いです。

僕も頑張ります。

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