脚本の技術

脚本を読んでもらって伸びるのは難しいこと

投稿日:2018年10月3日

自分の作品を読んだ人の意見感想を聞く。

これってすごく有用な方法だと思います。今回の件で実感しました。

だけど同時に、無条件に自分の作品を伸ばしてくれる方法ではないと思いました。

成長、実現するためには色んな条件があるんだと思います。

今日はそんな記事。

技術ってよりはマインド的な話が多いかなぁ。でもすっごく大事です!

 


 

まず、見てくれる人を選ばなければいけません。

それは、

・その人の作品を思って真っ直ぐな意見をしてくれているかどうか。

言い方はどうだっていいんですよ。偉そうだって構いません。

きちんと作品を読んでくれて、良い点、悪い点、どちらも述べてくれる人です。

肝心なのは良い点、悪い点の双方です。

良い点だけ言う人、悪い点だけ言う人は、優しいだけの人、嫌なヤツなだけの可能性が十分にあります。

こういう人って性格どうこうが悪いんじゃなくて読む前から構えて読んでいるんですよね。純粋に読んでほしい。

脚本には良いとこ悪いとこ、どっちもあって然るべきですよ。

その人の作品を思って読めば自ずとどちらも出てきます。

そのどちらも作品から感じ取れて、臆することなく伝えてくれる人が第一条件です。

そんな人を見つける段階で既に難しいです。自分の持つ人脈、見極めるセンサーも必要です。

あとは、

・主観的な感想を言ってくれる人。

こうすれば面白いんじゃないかって、

押し付けるとは違うんですけど、自分の思う面白いを考えて、別の可能性を提示してくれる人です。

それが正解じゃなくてもいいんですよ。最終的に決めるのは意見を聞いた本人ですし。

その提案をズカズカと言える人です。

極端な話、本気で面白くなると思っているなら、そもそもの構造さえも破壊しかねない意見でも構いません。

その点を遠慮しちゃう人に頼んでもあまり有用な方法にはなりえません。

客観的な感想自体、そもそも脚本に正解も何もありませんから、

「ここ、3字下げだよ」とか、

「モノローグ使いすぎ」とか、

「名前被ってない?」とか、

「誤字脱字あるよ」とか、

そういう感想ばかりになってしまうんですよね。

これって

「参考書でよくない!?!?」

前述した悪い意見ばかり言う人って作品を読む時はこういう反論できない粗探しからしそうなイメージがありますから、自ずと客観的な意見が多そうです。

読んでもらう側からすると、人に読んでもらって求めるものは当たり前ですけど生きた意見ですから、客観的な意見ほど無意味無価値なものはありません。

だから主観的意見をズバッと言える人。そういう人がすごく大事で貴重です。

ただ、人によっては信頼関係が必要なのでハードルが高いかもしれませんね。

日本人って八方美人や社交辞令が染み付いちゃってる人も多いですから、文化的にも向かい風です。

僕は例外的にズカズカと土足で人様の作品に入り込むタイプなので稀なタイプかもしれません。これは僕が八方美人や社交辞令に疎いからでしょうね。

「今度ご飯連れていってくださいね」と言われたらその日にスケジュール調整するくらいには疎いです。

※ちなみに、脚本が書けるとか書けないとかそういうのはどうでもいいです。

書けないよりは書ける方が勿論良いんでしょうけど、僕が書いたことに比べれば書ける書けないは些細な問題です。脚本書けない人が脚本を読むってのが一番ハードルが高いことなんでしょうけど。

 

読んでくれる人のことを書きましたが、作品を読んでもらう人の心構えも大事です。

 

自分の作品を読んでくださる(時間を作ってくれた)方々の貴重なご意見です。

読んでもらう人は当たり前ですけどその意見を丁寧に扱う心構えが大事です。

 

・一度、自分の中に落とし込む。

これは簡単で難しいことです。でもすっごく大事。

人に読んでもらうことで良い意見や悪い意見は当然出てきます。

客観的な意見(三字下げとか)はそれこそ、「だよねー。ミスったわぁ~」の一言で片付けられますが、主観的な意見はそうはいかない。

脚本に「正解」なんてありませんから、どちらの言い分も正しいんですよね。

人に読んでもらう以上、主観的な意見こそ本分ですから、この場合は読んでもらう人が飲み込むのが最も合理的です。

採用するしないを決めるのは作者に権限があるんですから、一度素直に自分の中に落とし込んでください。その後に冷静になって考えれば良いんです。

たまに、この主観的感想の行方でファイトする人がいますよね。

俺の作品はこういうスタンスだから~と自分の作品であることや変更権は自分にあることを振りかざして意見を真っ向から否定する人。

こう言われてしまうと感想を言った側ももう勝手にすれば?となってしまいますよね。当たり前ですけど。

これってすごく勿体無い。

貴重な意見を言ってくださった方はいよいよ面倒になって次回以降、客観的な意見しか言わない人になることでしょう。

意見を無下に扱うだけじゃなく、読んでくれる人という貴重な枠の中でも更に貴重な、意見を発してくれる人そのものを失うという。悪手も悪手です。

ただね、ボロクソに書きましたが気持ちは分かります。すごく難しいことなんですよね。

読んでもらう中で作品の全否定をされることは往々にあると思いますし、ジャンルが嫌いだからとそんな理由で一蹴されることもありますからね。

それに、人の意見を鵜呑みにして作品に投影することって作家性を失ってしまいそうで怖く感じてしまうのも当たり前です。

下手したら人の作風に飲み込まれてしまうことだってありますからね。

反論の一つもしたくなります。

でもね、それでも一度鵜呑みをする勇気が大事なんです。

まずは何でも鵜呑みするんです。きちんと自分に落とし込む。

その後に作品と冷静に見つめ合うんです。

乗り越えて実行できる人が作品を読んでもらう資格があると思います。

資格って強い言葉を書きましたが、それくらいこの点は大事だと思います。この覚悟がないのなら読んでもらわない方が良いです。

人間関係にヒビ入れて、それで何も得られないんじゃ最初から何もしない方がマシです。

この姿勢が今回の件は特に良かったんじゃないかなと思っています。この人は偉そうに書いた僕の意見を真っ直ぐに受け止めてくれましたからね。見習いたいです。

 

・落とし込んだものを使う。

意見を聞いたからにはね、当たり前ですけど自分のものにして使わないと!

落とし込んで一度納得して「いやでも~」と使わずにいては意味がありません。

自分の作風が完璧なわけがないんです。

それでプロになれていないんですから。

一人に読んでもらうだけでそこに二人分の作風があるんですよ。

これってすごいことです。一作品しか書いていないのに二作品分の作風ですよ。奇跡です。

だからね、そこは絶対に奪わないと!

作品に無理してでも入れてみるとか、難しかったらテイストそのままで一から書き直すくらいの気持ちで。

それくらいの価値があるんですよ。他の人の意見って。

 


 

こんな感じだと僕は今回思いました。

実際、僕は今回の件では一稿目を読んだ時、その人や作品を本気で思って、「良くなるために」を自分なりに考えてズバズバと切り込んでいったつもりです。

で、それが伝わりました。だから再び「読んでほしい」と頼まれた。そう思っています。

で、偉そうに書いた僕の意見を聞いたその方は、偉そうとか関係なく「なるほどー」と素直に飲み込んでくれました。

意外にも否定は何もありませんでした。僕自身偉そうに書いた気もしていたので文句の一つくらいは覚悟していましたが、ありませんでした。

それで今回のリライト作の完成度です。見事としか言えません。

この出来はこの人の何でも吸収する、その姿勢からだと思います。

この人がもっと腕のある人の意見を吸収していたら……もう想像が出来ませんね。

僕で申し訳ないくらいです。

 

伸びる人ってこういう人なんだろうなぁと素直に思いましたね。

 

僕もこうなりたい!

自分みたいな人って言ったらおこがましいけど、そんな人に作品を読んでもらいたい!

だから僕が思った心構えとかを双視点で考えて、こうやって今日は記事にしたわけです。

脚本を人に読んでもらう人や人の脚本を読む人はこのブログの読者さんには多いと思います。

自分を見直してみてください。

そこに見つからなかった伸び代だったり、友好的で有効的な関係があるかもしれません。

 

ふろゆ
自分が未だ実現出来ていないだけに辛いですね。人脈作らなきゃ!

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