脚本の技術

必要なセリフか否か-シャレードの二重説明-

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悩んでいた

 

シナリオの終盤で、主人公が放つ一つのセリフのことで、である。

 

一つのセリフ。何なら一言。

そのたった一言を、書くべきか書かないべきか。

 

それですごく、悩んでいた。

 

ここでその状況を詳しく書いてしまうとネタバレになってしまうから、書けないのが辛いところなんだけど、

ものすっごく(丸一週間)悩んだ。

だからこの奮闘はなんとしても書きたい。

そう思っての今日の記事。

今日は可能な限り僕の頭ん中で起こった葛藤を書いていきたいと思う。

 


 

問題のシーンは物語の起承転結の「結」のシーン。

結の役割は人それぞれに考え方やニュアンスが違うだろうから、

これはあくまで僕個人の意見として捉えて欲しいんだけど、

「テーマに対する回答を得た主人公の後日談に伴う余韻」

の時間が「結」だと僕は思っている。

で、「結」は当たり前だけど物語の終盤。

僕の結に対する考え方からも分かると思うけど、結は、なんかこう情緒的な締めが良いのですよ。

見終わった後も噛みしめることができるというか、考えさせられるというか、趣があるというか、なんかそういうやつ。

そういった投げかけを無責任にも視聴者に投げかけて、若干言葉足らずにサクッと終わらせたい。

既にこの趣向に賛否があるかもしれないね。

でもこれを否定されちゃうと話が止まってしまうから、この先を読む人は一時的でも僕に賛同して読み進めてほしい。(強制)

 

 

結を見終わった後の余韻。視聴者なりの解釈。

新たに生まれる(想像上の)ドラマ。

そこに魅力を感じる。

え、感じない?

今回の記事は忘れてください。

 

で、結に主人公から放たれる一つのセリフ。

これはもちろん前述した、テーマに沿った投げかけになるわけなんだけど、

ここで問題なのは、

 

同じことを状況でも説明しているんだよね!

 

状況だけで読めるのに、セリフでもそれを語ると説明がクドくなってしまう。

何だっけ。

説明ゼリフの代わりに小道具や状況を使って語るシナリオ技法の名前。

何かあったよね。格好良い名前。

ああ、そうだ。

 

シャレード!(マジで出てこなかった)

 

そう、シャレード。

シャレードとアンチテーゼは知っているだけでシナリオ初心者じゃありませんよ感が出るから、

使える使えないは置いておき、覚えておいた方が良い単語。

そのシャレード。

 

 

今回の場合、

シャレードで既に説明が行われているのにも関わらず、主人公が全く同じことをセリフで言おうとしている

という状況。

 

つまり、二重説明。

あえて良く言えば、分かりづらさの補足。

 

シャレードを使った表現って聞くと、それだけで何だか素晴らしい感じがするけれど、

「結局、何を言いたいんだ?」

という状態になりかねない諸刃の剣だと僕は思っていたりする。断じて万能な代物ではない。

書く側の思考と見る側の思考が、良い感じにマッチしないと伝わりかねないんだよね。

でもさ、見る側の思考なんてそれこそ百人百様、十人十色。

僕が簡単にコントロールを出来るわけもなく……。

それなら誰にでも分かる、分かりやすいシャレードを、と言うのも難しいわけで。

露骨になればなるほど、いっそ真っ直ぐなセリフで表現した方が良いんじゃないかということもある。

 

そんなんだから僕は物語の核心的な部分ではあえてシャレードは控えめ。

具体的には起承転結の「転」の部分とかね。

特に「事実」や「状況」の説明なんかは細心の注意を払って、分かりやすく書いている。

これは、分かってもらえないことが一番辛いのと、出来るだけ多くの人を楽しませたいというのが、僕のシナリオ執筆における信条の一つだからだ。

 

それなら最後もセリフ、書いちゃえよ。

最後もみんなに分かるよう、補足の意味でもセリフは必要だよ。

って考えが片方の意見。

 

 

で、もう片方の意見は、

 

今回のシャレード、

 

決して難しい表現ではないんだよ。

 

だからある程度の人は読み取れるはず。それも大多数の人。

その根拠は、

僕が書くシャレードだから(暴論)

学も技術も金もない、僕のプロフィールにも書いてあるマイナス要素を逆手に取る。

「金もない」は余計かもしれないけれど、何たってそんな僕が書くんだからね。

僕の力不足を考慮に入れなければ、ほとんどの人が分かってくれる……はず。

つまり、シャレードのみで十分理解ができる大多数の人には結果として「セリフが二重説明になってしまうからいらない」という結論。

 

それともう一つ。

さっきも言った、物語の終盤の「結」だからこそ余韻を持たせたいという考え。

この余韻を持たせるのにシャレードってすごく良い手法なんだよね。

僕の書き方や信条を加味すると、シャレードは「結」を綺麗に終わらせるために存在しているものだと言っても良いくらいには素晴らしい手法。

見る側が分かるか分からないかギリのラインであればある程その余韻は大きくなるし、結にあると良い、言葉足らず感も出る。

もう良いこと尽くめよね。味も出るし。

ただし、分からなかった人には謎が深まる。

これは既に「テーマに対する回答が主人公(と視聴者)は出ている」段階で踏み込むのが結だと僕は思っているから、

最悪分からない人には分からなくても物語全体には支障がないんだよね。

そういう意味じゃ一部深淵に迷い込む視聴者が現れるのは必至だろうけど、ここでシャレードを使った方が絶対に良いと僕は思っていて。

それにシャレードの意味合いと全く同じセリフを書いてしまうと、

 

シャレードの効果が弱まる

 

問題ももれなく発生してしまうと。

せっかくの良い手法なのに。

せっかくのお洒落に書いたシャレードなのに。

セリフを書いてしまうと台無しとまでは言わないけど、3割くらいの力しか発揮ができなくなってしまう可能性がある。

 

で、結論。

 

最後の主人公から放たれるセリフは消した

 

決め手は、

「結」だから。

これに尽きた。

最悪分からなくても構わないってのが大きいね。

分かる人の情緒や余韻を考えると、このセリフは邪魔である。

そう僕は今回、結論づけた。

分からない人が出てきたらね、そこはもう諦めようと思う。

見てくれる側に託す形。

僕には珍しく作家らしいね。自分本位な執筆。

そんな自己中な決断をぶっ放しておきながらこういうことを言うのはすごく格好悪いことだと思うんだけど、

 

分かってくれ、頼む……。

 

特に審査員。

 


 

万人に受けるシナリオが存在しないというのは、単純に好みがどうこうだけではないってことよね。

脚本家と視聴者の波長が上手く同調して初めてその魅力が伝わることだってある。

この辺はもう諦めるしかないね。

それこそ人それぞれだもんね。

それでも僕は、出来るだけ多くの人に理解されるシナリオを書いていたいなと切に思う。

 


 

あ、一個前の記事のアンケートに協力してくださった方、ありがとうございました!

とても参考になりました!

 

ついでに判明した驚愕の事実。

 

僕にポエムの才能はなかった!

 

僕の作品に票を入れる人が一人もいないのに、何を期待してみんな僕のシナリオブログに来ているんだ!?

(皮肉にも、それを知るアンケートという悲しき事実)

 

あまりにも悲しすぎて、『ポエムに票が入るまで二度と記事の更新しないからな、バカヤロー』と、ブログを放置してゲーム、じゃなくてNHK創作シナリオを書いていました。

 

票が入る気配が全くないので泣く泣く今日、更新です。

 

読者のみんな、基本優しいのになぁ。

いや、この結果はある意味で真摯か......。

 

 

このままじゃ悔しいので、

 

ポエム、リベンジします!

 

くそう!!

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