脚本の技術

男性脳と女性脳からシナリオを考える

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今日は僕の勝手気ままなシナリオジェンダー論を語ります。

(偏見があるので苦手な方はブラウザバック)

前回の記事から、

ロマンチック思考を男女のシナリオ論に繋げて無理矢理深掘りしたくなりまして……。

使える物は何でも(シナリオに)使っていく!


 

 

男と女、どちらがよりロマンチックだと思いますか?

 

一見すると女だと答えがちだけれど、僕は断然男だと思っています。

 

男ってね。

人によっては一生、糞ガキ(中二病)のままなんですよね。

逆に女の人はすごく大人。

いつだって現実的だし判断も的確なことが多い。

失恋後だってすぐに次にいっちゃうし。

皮肉だけど、効率的よね。

魔法の言葉、個人差に寄るんだけどさ。

※以降の話も僕が勝手に思っている傾向程度に捉えてください。

 

よく言われているのは

ロマンチックなシチュエーションに女の人は弱い

ってやつ。

これさ、ロマンチックなことは女性じゃ思いつかないことだったり、できないことだからこそ、

そこに「憧れ」が生まれるんじゃないかなと僕は思っていて。

「憧れ」の要素ってシナリオで言うところの魅力的なキャラクターを考える時によく使いますよね。

「憧れ」と「共感」の同居ってやつ。

ある程度シナリオを勉強している人ならウンウンと頷いてくれている(ハズ)。

僕は独自のキャラクター創作理論の中でこれを「直球」と「変化球」に例えて考えています。いつか本で紹介したい。

で、女性もその「憧れ」を魅力に感じて男性に惹かれていくと。

だから「ロマンチックが好き=女性」みたいな方程式が世間一般に生まれたんじゃないかなぁって思ったんです。

でもこの例をよく考えてみると実際は逆なんですよね。

本当にロマンチック思考なのは男性の方なんです。

 

具体的にこれがシナリオにどう影響を及ぼしていくかって言うと、

男は妄想力が半端ないから浮世離れした物を「設定」で書く。

女は現実思考で地に足のついた物を「ディティール」で書く。

極端に言うとこんな感じ。

書くって断定しちゃってるけどあくまで「書きがち」ね。

設定で魅せようとする男と、ディティールで魅せようとする女。

シナリオで極端に寄っちゃうと不利なのは明らかに男の方よね。

現実に寄りすぎる分(ディティール≒リアリティ)には良いけど、離れちゃうと現実離れし過ぎてドラマではなくなってしまうから。

男諸君はそこを意識して書いていくことがコツなのかもしれないなー。

と、男性脳バリバリの僕は思いました。

具体的には、抑えつつもある程度はリアルに近づける。

細かいとこ(ディティール)は特に。意識するだけでセリフ回しとかは改善出来ると思うよ。

ていうか、

男の人が書くドカンと奇想天外な設定もすごいけどさ、

女の人が書くディティールの細かさったらすごいよね。

細かい心理描写や所作って言うの?

どこまで細かく書くの……とか思っちゃう。

例えば日常、ご飯を食べているときの机の上の手の動きとか。

普段見てないし、そもそも気づかないってそんなとこ。

仮に気づいてもシナリオに使おうなんてところまで辿り着けない。

「必要ある?」って思っちゃうからね。

でもそんな小さなとこからロマンチックを出していったりするんだもんね。

そういうのが僕らの「情」にグイグイと来るわけですよ。

前回のヤングシナリオ大賞の大賞作品、「ココア」はそういうところがすごく良かったみたいです。

色んな方の感想を読んでみて、

言い方悪いけど「起承転結とはあまり関係のない」細かいところの表現が評判の良い印象でした。

だから感想を見た後に、「で、それが上手だからそれ"だけ"で大賞なの?」って思っちゃったんですよね。

逆に僕ら(主に)男性陣から不評だったのは「設定」だったり「構成」といった男の得意とするところが微妙だったからかもしれません。

ココアをあらすじに起こしてみるとよく分かります。「面白いかこれ?」ってなっちゃいますもん。

でもコンクールでは現状、セリフが重要と言われていて、もっと言えばこのディティール部分にこそ評価の重きを置いている印象です。

僕は気づけなかったけど、その「ディティール」と呼ばれる要素が当作品には散りばめられていて、書き込まれていたのだとしたら……。

それはきっと大賞レベルなんでしょうね。(大事なのはバランスだと思うけどっ!!)

面白い面白くないは度外視するとして、そこは単純に僕が気づけなかったところ。(現在進行系)

かないませんわ。

修行修行。

人の作品を「僕ならこうする」って言うのはあまり好きじゃないんだけど、

ココアをもっと良くするなら構成全体に係るような細かい所作を加えると良かったかもしれません。

作家の強みを活かしつつもこの記事でいう「男性脳」にも響くよう構成や設定でもちゃんと魅せていくイメージ。

例えばディティール要素を伏線にしてラストで回収するとか、ね。

具体的には、小さな手の動き一つを伏線にして、全く同じシーンなのに意味合いが全く違う、とか。

(例えば"手を繋ぐ"をキーにするとか?)

それを主人公の三者三様に、それぞれに関わりがなくともその所作だけは統一する。

勿論、それぞれに意味合いを変えてね。

そんな風にすると度肝を抜かれていたように思う!

それに、何か良いシーンも生まれそうよね。

ラストのそのシーンを活かすべく書いていたら全体の構成にももっと張りが出てきそう。群像劇っぽさも増すし。

「ココア」って小道具でそれを表現出来ていたらそれが一番良かったんだけどね。

これはなかなか思いつかないね。だからこそ考えるべきだと思うけど!

 

ここまでの記事は「女の人がディティール得意なら有利じゃねーか?」とも思える内容だけど、

女の人は女の人で斬新奇抜なアイデアが仮に浮かんでも、

「いや無理でしょ……」と諦めてしまったりもしているかもしれない。

対して男諸君は思い浮かんだら無理矢理でも形にできる人が多いよね。無理矢理が過ぎることもあるけど。

僕は女じゃないからその辺は実際は分からないけれど、

もしそうなら、女の人はそういうとこを挑戦的に考えることができればもっと良い物が書けるかもしれないね!

 

それに因んでもう一つ。

 

最近ツイッターで見た

「野島伸司さんは昔は左脳でシナリオを書いていたけど、最近は右脳で書いている」

みたいなツイート。

これ、すごく印象的でした。

つまり、

昔は男性脳≒設定だったり計算だったりの構成寄り

で書いていたけれど、

今は女性脳≒ディティールを含め「情」で書くセリフ寄り

で書くようになった。

ということなのかなと自分なりに解釈できたのね。

コンクールでは断然右脳で書いた方が点が取れる傾向に今はあると思うんだけど(セリフ重視)、

ドラマの面白さという点で見れば僕は配分が大事なのかなって思います。

さっきも言ったけど、バランスね!

情に訴えかけないドラマはドラマではないのは確かなんだけど、情があっても発想や構成が陳腐だとそもそもがつまらない印象を与えてしまう。

 

男性脳は「発想」以外は計算や勉強で補える部分だから努力次第って僕は思っているんだけど、実際はどうなんでしょう。

逆に女性脳の部分は感性によるところが大きいと僕は考えていて……。

だから「セリフはセンス」なんて考え方もあるんですよね。

(プロの人もセリフはセンスや天性に依るものってよく言ってるよね)

確かにセリフは感性に依る所が大きいだろうし、勉強じゃどうしようもない部分はそれはあるとは思うんだけど、

意識して書いていくだけでだいぶ違うと思うよ。

セリフはセンス。

「プロが言うからそうなんだ」って確固として言われているけどさ、

プロである野島伸司さんは実際に左脳→右脳に切り替えてきた。って言ってるわけじゃん?

矛盾だらけよ。

たまたま野島伸司さんにはセリフのセンスがあった。

と、言ってしまえば理に適うかもしれないけど、「じゃあ左脳で書いていた間の作品はなんだったのよ」となるわけで。

その間だって名作を生んでいたはず。

セリフは伸ばせるとこなんだと思うよ。

そりゃセンスはあるんだろうけどさ。

何も考えずに「セリフはセンスだから」って言って終いじゃそれこそオシマイ!

「先生やプロが言うからこうなんです」じゃなくて、まずは自分で考えよう。

一般的に「書ける」と言われているプロにも喧嘩を売っていくスタイル。

「セリフはセンス」の半分は間違いだと僕は提唱します。

これもまた、捻った考えね。(前回の記事参考)

 

で、そこから目指すはただ一つ。

 

屁理屈糞野郎!!!

 

違いますね。

自己を確立させて、それぞれの脚本家を目指して頑張りましょう。

僕も頑張ります。

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