何でもないようなことが、今でも僕を苦しめる。
僕のロード第一章~追憶の反芻~/The 風呂湯兎(ザ・フロユゥー)
直近の水曜日のダウンタウンの録画を見て心を揺さぶられた。
まさかあの番組で感動するとは思わなかった。
番組内容はThe虎舞竜の名曲「ロード」の第十五章の楽曲を一般公募して、ボーカルである高橋ジョージさん自らが審査し、採用するといったものだ。
中には冷やかしのようなものもあったけれど、最終候補に残った作品はどれも心に響く名曲ばかりで、不採用になった曲たちがこのまま公にされず埋もれていくのはどこかシナリオ執筆にも通ずる寂しさを覚えた。
僕が好きだった曲は井上純一さんが歌うロード第十五章『当たり前の日々』。
Youtubeにてご本人が載せていたので宣伝をば。
ここ数日、ループでずっと聴いている。
再生数はまだ少ないけれど、良いもんは良い。
もっと評価されるべきだと思う。
妻と離婚した男の未練の籠もった想いと、離れた娘へと簡単には届けられない愛。
過ぎ去ってしまった取り戻せない日々を思い起こし、
それが敵わないと知りつつも最後まで望みを捨てきれず切り捨てられない弱さ。
僕に離婚の経験はないけれど、すっごい分かる。というか伝わる。
弱いんだよな、人間って。
でも未練がましくたっていいんだよ。
どれだけ現実を突きつけられても、そこで変わることが出来ないのが人の性。
井上さんのバックボーン(デビューして14年芽が出ず)も相まって、歌に重みを感じる。
ってか感極まって泣いちゃう。
そう、これなんだよ。人を感動させられるものって。
薄っぺらいものでは感情は動かない。
番組では残念ながら僕の推している井上さんのロードは不採用だった。
でもそれは、高橋ジョージさんの人生観に合わなかったからだと思っている。
高橋さんは離婚に対して『未練よりも前を向いていたい』そんな感じがしたんだよね。
実際に採用された曲はどこか寂しさを感じる歌詞に、明るい曲調だった。
高橋さんの人生観をよく表しているなと思った。
デュエットってのは何か違うなと感じたけれど。
高橋さんの『人生』そのものを歌ったものがロードだと僕は思っていたからね。
最後の章まであの曲はずっと高橋さん一人で歌っていて欲しかったという願望が……ね。
高橋さんにはどんな時でもロードを思い出して歌っていて欲しいし、年月経ったロードはそれはまた当時と違った人生観で別の魅力を出してくれるかもしれない。
ロードには高橋さんだけが滲み出ていてほしい。
一人で完結していて欲しかった。
まあ今の高橋さんがあの形を求めたわけだから、あれが間違いなくロード第十五章なのでしょうね。外野がとやかく言うことではない。
シナリオもそういうことなのだと思っていて。
人を感動させられる良い作品と、現場で求められているもの、視聴者が見たいもの、それぞれが違っていることはよくある。
他人の考えや理想を読み取ることなんてエスパーでない以上は無理。
だから創作者はひたすら自分の信じるものを描き続ける他ない。
コンクールに落ちたっていい。
今は評価されなくたっていい。
気楽にやれとは言わないけれど、そこんとこの肩の力は抜くべき。
番組内でこの公募に落ちたら30数年の音楽人生に区切りを付けるなんて言っていた人もいたけれど、辞めなくて良いじゃんって思った。
そりゃ30数年の想いをキリ良く捨てられたらそれは格好良いよ。
意気込みも生き様もスゴく見えるよ。
でもさ、泥臭くていいじゃん。格好悪くたっていいじゃん。
そういう弱さが僕は好き。
何でもないような人間が30数年やってしまった。それが魅力的なんだよ。
弱いから人って尊い。
30数年やってしまった。
それは誰でも出来ることじゃないんだよ。
そんな人を他人は応援したいと思うんじゃない? と僕は思った。
30数年やってきた人を同情で採用はしたくないでしょう。
それこそその人のやってきたことを否定する失礼な対応になる。
これを区切りに辞めるなんて僕なら言わないし、言えない。
かけてきた時間と真摯に向き合っていたい。
辞める時はひっそりと辞めよう。
猫が死ぬ時に飼い主から離れていくのと一緒だ。
かけた時間が好きだから、他人に見せつけずに離れる。
心から応援したい、そう周りから思われる人に僕はなりたい。
同情と応援では全然違うんだよ。
そして、ここからが今日の本題。
っていうか書きたかったこと。(いつも通り本題が遅い)
東映株式会社の芸術職研修者の募集に応募した!
落ちたら惨めに思われるし書くつもりはなかったけど応募したくらいは言っておこうかな。
今後この話をしなくなったら結果は察してください。落ち込んでおりますので。
この東映の募集、採用されたらもちろん死ぬ気でやるけれど、僕には輝かしい経歴もなければコンクールで受賞したような実績も何もない。
だから可能性はほぼない。
履歴書真っ白なんだもん。
傍目から見て、執筆力を測るには経歴や実績が最も分かりやすい。
もうこればかりはどうしようもない。白いもんは白い。
多くの知り合いが応募していることを知っているし、中には当然コンクールの受賞者もいる。
履歴書が真っ黒で枠が足りないと嘆く人は五万といるだろう。
身辺周りでさえこんな感じなのだから、僕の知らない人たちも合わせたら凄まじい倍率に加え粒揃いだろうな。
でも、僕が応募する意味は『記念』や『思い出作り』ではない。
ここで残りたい
そのために応募した。
履歴書は真っ白でも、目は血走ってっから!!
履歴書赤く染まってっから!!
今回の採用募集を、僕は勝負事として考えていない。
人は人。僕は僕。
それがシナリオにおける僕の考え方だ。
シナリオの世界において上下なんてものはないと思っている。
隣の人が生み出す作品を僕は生み出せない。それは逆も然り。
隣の何でもないようなやつが賞を取った瞬間、神と崇められる。
そんな所が僕のいる場所だ。
まあ、否が応でも他人に評価されるのが僕らの運命ではあるが。
履歴書だけなら無事死亡。
これは間違いない。
でも今回の芸術職研修者の募集では、企画書も一緒に送付することになっていた。
猿でも分かった。
何も持ち合わせていない人間の勝機はここにしかない、と。
だから企画書だけはパソコンのモニターに顔が埋もれるくらい力を入れて作った。
これ以上ないくらい自分を出した。
僕の顔面の油分がモニターを通して原稿にも伝わっているはずだ。
データにDNA検査をかけたらふろゆと一致するだろう。
若干のThe風呂湯兎成分も出るだろうが。
今回の採用が薄っぺらいものなら履歴書の書類選考だけで良い。
でも違った。
だから勝機は必ずある。ちゃんと読んで評価してくれる。
自分の中にある心の叫び、キャラやストーリー、これらを僕が見たいと思えるようなドラマに昇華して全て吐き出した。
これは自己評価だけれども、良いものが描けた。
やりきれた。
それが何よりも嬉しかった。
やっぱ僕はシナリオが大好きなんだなって。
前回のテレ朝を描いてから、どこか調子が良い。
自分らしさの出し方が分かってきた。
足かせが取れた囚人のよう。僕は自由なのだ。刑務所にいたことはないけれど。
まだまだ走れる!
この結果はどうなるか分からない。
現段階では神のみぞ知るってやつ。
性格柄ネガティブに考えてしまうから、やっぱりダメなのかなと思っちゃう節はある。
まあそれは仕方がない。
僕は何でもないようなやつなのだから。
書類審査を通過した後は、テーマに沿ったシナリオを7日で書き上げるという課題が渡されるらしい。
僕はこれがスゴく良いなっと思っていて、落ちたらそこだけが心残りだ。
描かせてくれぇい!!
何でもないようなことが、かげがえのない経験である。
脚本家にとっちゃ人生全部そうなんだけどね!!
マジで企画書だけはすげぇから!
東映の担当者今頃ウッキウキだから!!
自分の想いに自信を持ってく!!!!
カラ元気でもそう思ってく!!!!!!