雑記

TOKIOの謝罪会見。山口達也さんは本当にずるいのか?

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あんまり芸能ニュースの様な時事ネタは書かないんですけど、僕が思っている考えと世間の意見が違っているように感じて、

このままじゃTOKIO山口さんや他メンバーが可哀想だなと思ったので今日はこうやって記事を書いています。

※僕はTOKIOのファンでもアンチでもありません。

 

TOKIOの山口達也さんの強制わいせつ容疑を受けた他メンバー4人の謝罪会見が先日(5月2日)行われましたね。

僕も見ていたんですけど、TOKIOのみんなに感情移入してしまって何というか、居た堪れない気持ちになってしまいました。

会見後は大々的にニュースになり、ネット上では言葉の一つ一つの解釈や追及が進められています。

事件発覚後の山口さん個人により行われた謝罪会見で山口さんが発した

「まだTOKIOに席があるなら戻りたい」

という発言は報道や国民から大きなバッシングを受けました。

山口さんが行ってしまった事実は決して赦されるものではないです。

被害者が受けた心の傷は時に一生残る物ですから、その罪と向き合っていくことが加害者もとい山口さんには求められます。

今回の件、事が大きくなってしまったこともあり被害者女性に対しては主にネット上で誹謗中傷が飛び交っています。

「高校生にもなって深夜に独身男性の家に行くことの意味が分からないのか」、

「被害女性は和解金でさぞ喜んでいるでしょう」等々。

事の発端と思われている「Rの法則」の番組が公式に「誹謗中傷を止めてくれ」と発表したことからも、被害女性はネット外でも普通の生活は送れていないんじゃないかなと推測することができます。

そんな状態の中での山口さんの「TOKIOに戻りたい」発言は事件発覚直後だったこともあり、バッシングを受けて当然かもしれません。

被害者の傷が癒えていない状態で、加害者でありながら自分の行く末の心配をしているわけですから。

他にもお酒のせいにした、事務所やメンバーに事件のことを内緒にしていた等々の山口さんの甘さだったり弱さだったりが露呈し、

我々国民には大きなマイナスイメージを与えてしまいました。

叩く材料は十分過ぎますね。

でも山口さんの気持ち、僕らも少しは分かるんじゃないんですかね。

僕らが同じ立場だったと仮定して、

事実から逃げたくなったり、何かに責任を押し付けたり、自分の身を案じたり……。

これが異常なのだとしたら僕もまた弱い人間の一人です。

それをテレビというメディアやSNSを使って全力で断罪する。

個人を攻撃する。

悲しい世の中ですね。

そもそもあれは謝罪会見と呼べるものだったのでしょうか。

芸能人、特にTOKIOの一人という大御所と呼ばれる方が不祥事を起こしてしまい、

幻滅したファンの方や残念に思う方は相当数いると思うんです。

僕の父も鉄腕DASHが大好きでしたから。

父は番組がなくなるかもしれないと思ったら不安で病気になってしまうかもしれない。(高齢なので心配です)

人によっては相当なものだと思います。

テレビでの「謝罪会見」は誰に行われるかって、主に彼らに対して行われるものだと思うんです。

裏切ってしまったこと、不安にさせてしまったこと。

事実確認は別途「取材」だったり「記者会見」で行われるものですし、被害者に対しての謝罪こそ「当事者間」で行われるべきです。

だから今回の謝罪会見は謝罪会見じゃなかった。

メディアを使った

「裁判」

これが一番しっくりとくる。

僕らが求めているものは裁判だったのでしょうか。

人の不幸は蜜の味。そう思う人にとっては面白い見せものだったのかもしれません。

そういう意味では今回の謝罪会見は成功でしたね。

僕はただただ不快でした。

このニュースが話題になり、一挙手一投足に騒ぐ我々国民やメディアに対してです。

面白いですか?同情しますか?

将来脚本家志望である僕がメディアに苦言を呈する行為はマイナス行為なのかもしれませんが、

今回はどうしても書きたかった。

せっかくブログを書いているんだから自分の信条を発信しなきゃって。

これで夢が破れる悲しい業界ならこっちから願い下げです。

 

さて、遅くなってしまいましたが、

ここからが本題。

先日(5月2日)の謝罪会見で山口さんはTOKIOメンバーに責任を取ると「辞表」を渡したことを発表しました。

このことから山口さんが行った謝罪会見に対するバッシングを受けた山口さんの心情の変化が読み取れます。

自身の弱さだったり甘さを酷く痛感したことです。

「責任を取る」これは罪を意識していなければ出ない言葉です。

「TOKIOに戻りたい」とは正反対の言葉ですね。

台詞は時に意味が変わってくる。脚本も現実も同じですね。

山口さんの反省心がひしひしと伝わってきます。

それに反してネット上では、

「メンバーに辞表を渡すのはこれまた甘えなんじゃないか」

という意見が飛び交っています。

Yahooのトップニュースでもそう書かれていました。

ここまで来ると民意と言っても差し支えないかもしれません。

TOKIOのメンバーである松岡さんは山口さんが辞表を事務所ではなくメンバーに渡したことを「ずるい」と発言していました。

この発言を、

「僕らが辞表を受理することが出来ない(20年以上の付き合い)と分かっていて辞表を渡してきた」

こう解釈することが一番簡単です。Yahooのトップニュースもそうでしたね。

山口さんのこれまでの弱さや甘さを受けての解釈だと思います。

でも、僕はそうじゃないと思っています。

辞表を渡してきた時点で山口さんは変わっているんです。

弱さや甘さを認めて、変わろうとしている。

「責任を取る」という言葉が出てきたんですからね。

そこで小ずるいことをするかなって思うんですよ。

それに、山口さんは憔悴し切っているんです。

そんな状態で戦略染みた浅知恵を思いつき、小道具として「辞表」を使う方がおかしくないですか?

「僕らが辞表を受理することが出来ない(20年以上の付き合い)と分かっていて辞表を渡してきた」

この解釈、不自然ですよ。

「山口さんをTOKIOから切る決断」にメンバーが至る確率は0%じゃないです。何せ辞表を渡しているんですから。

メンバーは世間の意見に流されて受理するかもしれない。

実際にメンバー間でも意見は割れていると会見で述べていました。

世間が言う弱くて甘いと言われている山口さんがそんな危ない橋を渡りますかね。

僕の解釈は、

「TOKIOメンバーが今回の件を赦し、認めてくれるなら前を向いて進んでいきたい」

こう捉えています。勿論自分の犯してしまった罪を認め、見つめ合いつつです。

だから内々にメンバーに「辞表」を託したのではないかって。

今回、こうやって発表されてしまい、内々ではなくなってしまったのでまた色々言われているわけですが、そもそも辞表の件を発表されない可能性だってありましたからね。

山口さんは国民やメディアからどう思われようと、どう言われようと関係ないんです。

TOKIOのメンバーが赦してくれれば全てを敵に回してでも前を向いて歩く。

そして少しずつ信頼を取り戻していきたい。やり直していきたいと。

そんな意思を感じましたね。

芸能人が国民よりメンバーを選ぶなんてこと、あってはならないことかもしれません。

そういう意味では彼は芸能人失格ですね。

ただ、そう思うと20数年間、一緒にいたメンバー間のバックボーンに、思わず涙が出てしまいます。

もし赦さないと決めたならTOKIOは「辞表」を受理するでしょう。

山口さんを切る判断ということです。

山口さんはそうなっても良いんじゃないでしょうか。

メンバーへの「申し訳なさ」がそのまま「辞表」という「覚悟」の形に辿り着いた。

こう書くとバッシングが増えるかもしれませんが、

一つ「TOKIOに戻りたい」この発言を継承している行為でもあり、否定している行為でもあります。

松岡さんの「ずるい」発言は

「その判断を最終的にTOKIOに任せたこと」

に対する「ずるい」だったと僕は思っています。

その方が発言の一つ一つにしっくり来ませんか?

 


 

ドラマは「人の成長を書くもの」「心情の変化を描くもの」です。

脚本家志望だからですかね。僕は今回の件を当記事の様に捉えました。

山口さんは変わった。そう自然と思えた。

そういう意味では感謝ですね。

 

皆さんも世間に流されず自分の意見を持ってメディアと向き合ってほしいです。

悪いと言われているから悪いじゃなく、「本当にそうなのか?」という視点を持って物事を見てください。

よっしゃ叩くぞーとメディアが発したら国民総出で叩く。

ネットが普及したばっかりにそれがすごく目に付きます。

そんなメディアに踊らされる国民たちを僕は見たくないです。

メディアが右向け右と言ったら右を向く。これを認めると洗脳染みた、悪く言えば独裁国家になってしまいます。

 

ちなみに解釈はどれが正解なのかは当事者に直接聞いてみなければ分からないことです。

でも僕はメディアの言っていることの方が矛盾していると思えてならなかったんですよね。

Yahooトップにまで載ってしまって……。

叩く方面で盛り上がっているからそっちに乗っかってみた感じがするんです。

ただ当記事もまた、推測の範疇です。

答えは各々見つけてください。

では!

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