『チー牛』という言葉をご存知だろうか?
『チー牛』とはすき家で売っている牛丼のことである。
商品名は『とろ~り3種のチーズ牛丼』。
これを略したものが『チー牛』なのである。
しかし、この『チー牛』にはもう一つの意味がある。
なんと、
『チー牛を頼んでいそうな顔の陰キャ』
という意味があるのだ。
『人は誰もがチー牛にはなりたくない』
そんな大前提の元、今日の記事は読んでいただきたい。
先日、シナリオで躓き頭がこんがらがっていた僕は、
無性に糖質が取りたくなってデブ化を覚悟の上ですき家に向かった。
デブな僕<脚本家の僕
当然だ。
未来は見えている。
デブで脚本家の僕である。
すき家の前に立ち、ざっと店の前にあるメニュー表を見る。
高菜明太牛丼が美味しそうだ。
すき家に行くといつもコレ。
が、しかし、
3種のチーズ牛丼が食べてえ
そう頭の中の悪魔が囁いてきたのである。
しかし僕はチー牛にはなりたくない。
正確にはそんな自分を認めたくない。
僕はチー牛じゃない。チー牛じゃないんだ。
よし、高菜明太にしよう
決まりだ。
何も悩むことはない。だって
チー牛じゃないのだから
店内に入り、注文するべくタッチパネルの前に立つ。
高菜明太牛丼を一つっと。
ボタンを操作する。
あとはお金を投入。
……。
陽キャがこんなことを気にするだろうか?
機械に小銭を入れる手が止まる。
陽キャは食べたいものを食べるはずだ。
彼らはチーズ牛丼を頼んだからと『チー牛』呼ばわりされるなんて、一ミリも思っていない。
呼ばれたって気にもしない。
だってそういう人種が『陽キャ』なのだから。
すき家のタッチパネル前で陽キャの起源について考えているのは日本中を探しても僕だけだろう。
というかそもそもチー牛なんて意味不明なスラング、知りもしないはずだろ陽キャって。
ここで一つ、考えてみる。
『真のチー牛とは誰なのか』
陽キャならばチー牛を頼む。
ならばチー牛との差別化はどこで行われているんだ?
……。
『チー牛』という言葉が『チー牛界隈』に知れ渡っている昨今、
果たして真のチー牛はすき家でチーズ牛丼を頼むだろうか。
否
チー牛は自分がチー牛であることを認めたくない。
チー牛なのにチー牛を頼まないという不思議。
『僕はチー牛ではない』
その一心で皆がチー牛を避けていく。
チー牛だけがチー牛を頼むことを躊躇する(Q.E.D)
ふむ。
言葉の意味とは裏腹に、
チーズ牛丼を頼まない人種≒チー牛
これがリアルなのである。
ならば逆にチー牛を頼んでやろう。
今度こそ決まりだ。
意を決した僕は『とろ~り3種のチーズ牛丼』の注文ボタンを押して硬貨を投入する。
店員さんの声が店内に響く。
『3種チーズ並いっちょー!』
恐れるな。
チー牛はチー牛を頼まない。
……!!
名探偵コナンばりに脳裏を閃光が走る。
こんなことを考えるのってチー牛だけじゃね?
チー牛にマウントを取ろうとしている僕は紛れもなくチー牛だった。
チー牛の敵は、チー牛なのだ
こんな自分が嫌いだ。
『チー牛』たちにマウントを取ろうとしてチーズ牛丼を頼んでしまう哀れな人間。
高菜明太にするべきだった。しまった。
チー牛にマウントを取るチー牛、それって一番可哀想なチー牛じゃないか。
そんな人間に僕はなりたくなかった。
店員さんから運ばれてきたチーズ牛丼を食す。
美味しくなかった。
--まとめ--
チー牛たちはチー牛であることを認めたくない。だからチーズ牛丼を頼むことはない。チー牛を避ける人間はチー牛である可能性が高い。
しかしそのチー牛たちの思考を読んで自らチーズ牛丼を注文する人間もまた、立派なチー牛なのである。
そんなチー牛相手にマウントを取ろうとするチー牛を哀れに思う人間もいて、そんな人間を更に哀れに思う人間もいて、更に……。
彼らを総じて僕はこう呼びたい。
同じ穴のチー牛
チー牛はどこまで行ってもチー牛なのである。
この呪縛から解放されることはない。
考えれば考えるほどにチー牛。
僕はこの現象を【チー牛スパイラル】と名付けることにした。
Q.この葛藤ってドラマになりますか?