脚本の技術

『ホームドラマが描けない』なんて言うんじゃねえ!【テレ朝シナコン2020】

投稿日:2020年8月30日

 

サンキュージョナ様

家にいると、ついゲームをしてしまう。

テレ朝のプロットを書きたいのに、負けてしまう。

Wordソフトを起動するはずが、隣にあるゲームのアイコンをダブルクリックしてしまう。

なぜ?

それは自分がよく分かっている。

 

意思が弱いからだ

 

プロになりたい思いに嘘偽りはない。

死んでもなりたいし、生涯を懸ける覚悟だってある。

でもゲームをしてしまう。なんてやつだ。

自分にうんざりする。

人は強い信念を持っていてもなお、こんなにも矛盾を生む行動を起こしてしまう。

再び自分を見つめ直す。

 

プロットが書けなくて逃げ出したい

 

体裁と建前を己にさえ課している器用な男。それがふろゆ。

言い訳ならお手の物。

どうやら僕は自分さえも誤魔化し誤魔化しで常々生きているらしい。

スッキリした僕はファミレスで缶詰になる習慣を作るのであった。

(inジョナ様。ドリンクバーを添えて)

 


 

テレ朝のお題が出た。

お題はそう、

 

ホームドラマ

 

書ける気が全くしなかった。

まともな家庭で育つことが出来なかった僕が、

 

『家族物語』

 

を描くというのはあまりにも酷だ。

意地悪すぎるぞテレビ朝日。100%想像で描くしかないじゃないか。

頭の半分はこうだ。

逃げ腰で否定的。

ふむ。

もう頭の半分は?

意気込みでいっぱい。

だからやると決めた。

これは根性論からではない。きちんと理由はある。

 

 

ここ数年、テレ朝のシナコンではテーマが課される。

どれも発表時は「まじかよー」「んなもん書けねーよ」と思うものだけれども、

いざ挑戦して書き終えてみると、

これ設定した意味があったのか?

といつも思う。

第一回テーマの『初恋や最後の恋』なら、恋愛要素はどんなジャンルのシナリオにも出てくるものだった。

それが全体に掛かっているかは作品によってまちまちだけれども。

実際に受賞した作品『狂いゆく美』はコテコテの恋愛ものではなく、どちらかというとジャンルはサスペンスだったように思う。

第二回のテーマ「サスペンス」。

第一回が恋愛要素の入ったサスペンスの受賞。

サスペンスは『ドキドキ、ワクワクするもの』という括りだったから、実は恋愛ものと相性が良い。

実際に僕はドキドキするような枷を付けた恋愛要素とワクワクするような展開を意識した作品を描いて一次審査の通過をすることが出来た。(矛盾やミスだらけだったけど)

受賞作もあらすじを読む限りではサスペンスを織り交ぜたコメディだった。タイトル『池田』よ?(まだ読んでいません)

だから無理に殺人事件を起こす必要もなかったし(起こしても良いけど)、基本的に何を描いても良いテーマだった。

そして第3回「ホームドラマ」。

今までのものと違って少し制限がかかったようなテーマだけど、第一回、第二回と同様に考えて良い。

基本的に何を描いても良い。

決して家族のお涙頂戴物語である必要はなくて、

家族間での恋愛という禁忌を描いても良いし、

家族≒ファミリー発想から家族ごっこをしているマフィアの内部抗争を描いたって良い。

こう考えてみるとホームドラマにも無限の可能性を感じる。

糞でまともな家庭で育っていなくたって書けるテーマだ。

糞でまともじゃない家族を描いたって良いんだから。

むしろテレ朝シナコンに限ればそれを書くべきだと言い切ったって良い。

コンクールでのテーマ設定と聞くと、どうしても『制限』を意識してしまう。

ホームドラマは特に今までのテーマ設定と比べるとその制限は強めに感じる。

でも、

基本的に何を描いたって良い

僕は今回のテーマもそう捉えている。

自分の中の想像の広がりを審査員の人たちにぶつけるべきだ。

そういう作品や脚本家が求められている。

プロの脚本家を志すならチャレンジしなきゃ損なテーマ。

だから書く。

 

 

思えばテレ朝シナコンのテーマって、連ドラなら100%出てくる要素を指定している。

連ドラ10話を通して、

恋愛要素、

サスペンス要素、

ホームドラマ要素のないものって恐らくない。

どの要素も必ずどこかのエピソードで出てくる。

どんなジャンルの、どんな連ドラでもだ。

だからまるで、

「これ上手に書けなきゃプロは向いてねーから諦めな」

って審査側に言われているみたい。

そんなこと言われたらさ、

 

書くしかねーんよ

 

描けなきゃプロには向いてない。

負けらんねえ。

これは評価されるかどうかの問題じゃない。

「終」をしっかりと原稿に書けるかどうか。

そんな課題な気がする。

 

賞も欲しいけど!!

そろそろください!!!!!!!!!

 

まー、

 

頑張りまっしょい!!

 


 

実はこのブログを書いていて、嬉しいお誘いがあった。
『シナリオ勉強会inZoom』に招待されたのである。
一度参加してみたのだけど、何かこう、

 

すごかった(語彙)

 

みんな真剣だし、知識もスゲーなって。

沈んでいた何かを掻き立てられたよね。

誘ってくれてありがとうございます!!!と心の底から感謝した。

初めて参加したのは三週間くらい前。

この時期は好きな連ドラの書き起こしをやっていたこともあって、僕のメンタルはぶち折れ寸前、いや、ぶち折れていた。

でもこのままじゃダメだ。

メンタルぶち折っている場合じゃねえ。

ライバルすげーじゃん。超頑張ってんじゃん。

そう思った。

下手くそでも書くしかないんだって。

速く走る方法を模索している間に置いていかれる。

徒歩でも前に進んで目的地を目指さないと。

そう思った。

でも初参加以降、全く勉強会に参加が出来ていない。(毎週ある)

理由はある。

 

肝心の作品を提出出来ていないのだ

 

脚本家の名刺を提出出来ていないのに、参加するのは忍びなかった。

「そんなこと気にしないよ」と言われても僕が気にしてしまう。

人のシナリオに意見を言う度に心がズキズキする。

こんなんじゃ何も話せない。

完成させなきゃ。せめてプロットだけでも。

それで出来上がったプロット。

よっしゃ。

これで、これでやっと参加が……。

 

出すの怖ぇーな

 

超怖い。出したくねえ!!

これがふろゆである。

二の足を踏むのは僕のお家芸だ。

ボロクソに言われるのが怖くて、自分のセンスを全否定されるような気がして。

でも僕はボロクソに言う。もちろん貶すつもりは微塵もない。

だってそれが一番親切、でしょ?(サイコパス)

まあ実際は、こうした方が面白いだろうなってのをぶつけているだけ。

それが結果、受け取り手からするとボロクソに聞こえるだけなのだ。

だから何というか、作品に対して真摯で親切な人の意見ほどボロクソに聞こえる。

作品批評に関して僕はそう思っている。

耳心地良いことばかり言う人を僕は信用しない。

分かっている。分かっているんだ。

ボロクソに言われるために出す。

でも、

 

ボロクソに言われるのはやっぱり怖い

 

なんてやつだ。

ドン引きである。

ブログ読者には悪いけど、僕はこういうやつなんだ。

メンタルはマッチ棒並に折れやすい(知ってたかもしれないけど)

 

こういう時はふろゆもう一つのお家芸。

自己催眠の出番である。

 

僕は雑草。

踏まれても踏まれても起き上がる。

何度でも。何度だって。

雑草にだって花は咲く。

頑張れ頑張れ頑張れ。

 

 

うおおおおおお!!

 

出す!!出すぞ!!

すぐ出す!!今出す!!!!

出すんだあああああ!!

ハァハァ……。

誤字チェックした後な!!

 

 

強くなりたい。

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