日々挑戦の心
皆さん、こんにちは。お久しぶりです。
第48回NHK創作テレビドラマ大賞、
締切(6/30)過ぎたぞおおお!!!
6月はほとんどを実家のある鹿児島で過ごしておりました。
母の退院と義父の一周忌があったのでその関係で2週間ほど滞在。
んでこの機会だし『NHKの創作を頑張るぞー!!』と、
使う時間はいっぱいあったのですが……
『家族と過ごす時間、プライスレス』
全く描くことが出来ませんでした。(知ってた)
こっちに帰ってきたのが6月21日。
1枚も書けなかった。
こんなつもりじゃなかったんだけどな。
プロットも頭の中にふんわりとしかなくて大ピンチ。
まあシナリオ一時的にお休みしてる状態だし?
別に出さなくてもいっか。
と悪魔の囁きがありつつ……
何とか、何とか、
応募することが出来ました(6/30,10:40)
ギリギリだった……笑
テレ朝出せなかったから参加したかったコンクール。
参加出来て良かった!
久しぶりにシナリオの話。
いつの間にかヤングシナリオ大賞の一次審査の結果が出ておりまして。
僕の結果は……
一次落ちでした。
気持ちは大賞だった。
シナリオの基礎やルールに喧嘩売ってんじゃないかって意気込みで描いた作品ではあった。
勢いに任せてぶん回してたとこもあって、『死ね!』とか普段絶対使わないセリフ使ったりしてたよね。
だから落ちたのかな、とか色々と考えることもあり……。
この落選は吹っ切れるキッカケになった。
我流で挑戦してはいけない
この落選で感じたことは
型があってこその型破り
創作の世界において『面白い』は作家それぞれにある。
ほとんどの場合、作者は自作の一番のファン。
面白いと思ったからその作品を書いている。
それは大前提。
でも、その『面白い』は『面白くない』でもある。
クリエイターなら『自分(の面白い)を信じて頑張ります!!』と言いたくもなる気持ちはめちゃくちゃ分かる。そこを信じて描くことこそがクリエイター。
それを正義だと信じたくもなる。
『推しの子』ってアニメで『アイドルに夢を見るのは勝手だけど、期待はするなよ』的なセリフがあるのだけど、『脚本家』と置き換えても通じるところがある。
自分のことだし厳しく書くけど、
我を貫き通すことは趣味でしかない。
それで出しても落ちて当たり前。苦笑
そう思わないといけない。
メンタルやっちゃうから。
もちろん裁量権が全くないわけではなくて。
『どこで我を貫くか』
ここの見極めがプロに求められる力なのだろう。
今回のNHK創作は一から基本に返って描いてみた。
今回僕がやったことは、
『審査員になった気持ちで自作を描く』
ということ。
作品を俯瞰して見るためにこういうことを行う。
クリエイティブな自分と、シナリオにめっちゃ厳しい自分とでの共同執筆。
例えば冒頭なら、
『物語が一枚目からスタートしているか(いきなり説明に終始していないか)』
とか
『開始10枚でメインの役は出揃っているか?』
とか
『冒頭の惹きは十分か?』
とか。
セリフの描き方にしても、
『ステレオタイプになっていないか?』
をしっかり確認する。
例を挙げるなら、
男→何となくその辺にいそうな気弱な大学生みたいな喋り
女→お淑やかで素直、めちゃくちゃ心がキレイな女
気を抜くと人はこういうキャラクターを自然と書いてしまう。
『主人公の属性付け』も大事。
基本よくいる『普通の人』でいい。
倫理観諸々の基準が普通ではない主人公は心の機微が描きづらく、共感性もない。
だから基本は普通の人。
でもドラマの主人公なら課題は必要。
具体的には主人公がどういう思想を持っていて、
どう変わりたいか、
どう変わるべきか。
何を欲していて何が足りないのか。
この課題がなければ、
『主人公がただ何か事件に巻き込まれて四の五の言って何となくいい話で終わる』
これではドラマの弱い作品となってしまう。
設定がきちんとされており、冒頭5枚以内に明示出来ているか。
等など。
冒頭だけでも気をつけなければならないことがいっぱいある。
だから一枚一枚丁寧に
『この作品を評するなら~』
と、確認しながら執筆に取り組んでみた。
これが結構良くて。
今までどれだけ勢いに任せて自由に描いていたかがよくわかった。
ただ、この描き方でも『僕が審査員ならダメ出しするかもなー』って箇所はやっぱり出てきて。
これが俗に言う『筆力不足』なのだろうね。
新しい気づきもあった。
僕は事件を起こして作品を展開させることが多い。
よく言われているのは『主人公をいじめていじめていじめ抜く』というやつ。
これを実行するために、主人公に不都合な事件を起こすのが僕のやり方。
でもこれってほとんどのケースで
脱線でしかない
と気づいた。
いわゆる楽な方ってやつ。
この『いじめていじめていじめ抜く』についても、再認識出来る良い機会となった。
僕のシナリオはよく派手なシナリオだと評されるけども、実際はただ脱線していただけで、その都度ドラマを薄くしていた。
ドラマのクオリティを落としていた。
シナリオには『箸休め』と呼ばれるシーンがある。
あえて筋から外れることで、読者視聴者の緊張を解す役割を持つシーンだ。
この箸休めに甘んじていたら僕のように飲み込まれてしまう。
何年描いてもまだまだ学びばかり。
未だに正解には辿り着けていないけど、これからも自分と向き合っていきたい。
NHK創作お疲れさまでした。
TBSの連ドラシナリオ大賞が復活するらしい。
僕が脚本家を目指し始めて1年目辺りでなくなったコンクールの復活。
ちなみに出したことはない。
当時の自分にはハードルが高いような気がして出せなかった。
今は違う。
これは実力が伴ってきたというより、恐れることがなくなった。
と言った方が正しい。
応募を始めた頃は落選の一つ一つがすっごく怖くて毎回落ち込んで。
自分には才能がない、神様なんかいない、とはよく思っていた。
次第にこういうメンタル的な落ち込みは、努力が足りていなかっただけなのだと自覚した。
自分を客観視出来ていなかったんだよね。(今も出来ていないけど)
学べば学ぶほどに『落ちて当たり前』という現実を理解してくる。
これは落ち慣れたわけでも、吹っ切れたわけでもなくて。
書けるか書けないか、面白いか面白くないか。
今日の記事で書いた『クリエイターな自分』を客観視出来ていない結果。
ただそれだけだ。
未だに夢見ちゃってやらかすことは多い。
これはコンクーラー病だと言っていい。
参考までに言っておくと、
『クリエイターな自分』を100%出して自由に描いた作品はもれなく100%一次落ちしている。
100%ってすごくね?笑
やられると分かっていて再三挑むところがこの病気の恐ろしいところである。
定期的に夢を見てしまう。
期待して裏切られる。
先に裏切っているのはこっちなのだが。
ごめん、すっげー脱線した。
TBS連ドラシナリオ大賞。
最後に受賞していたのは
『義足の学生がマラソンを走る青春ドラマ』
そんな作品だった記憶がある。
細部は覚えていないけども未だに内容を覚えているだけに、面白かったのだろう。
つまり、期待出来るコンクールだ。
このコンクールの面白いところは『連ドラの一話目』を募集しているところ。
シナリオコンクールは基本、一話完結の単発ドラマを募集している。
だけどもTBS連ドラシナリオ大賞はそこが違う。
連ドラの一話目をいきなり募集する。
連ドラ向きのアイデアってこの界隈では皆が持ってるのではなかろうか。
TBS連ドラシナリオ大賞がなくなって以降早5年~。
僕らはそれを、お披露目する場がずっとなかった。
満を持しての開催ということもあり、今まで温められてきたアイデアがきっと集まる。
絶対参加する。したい。