雑記 思い出

第48回NHK創作テレビドラマ大賞一次審査の結果を見た

投稿日:2023年7月20日

毎年ちゃんとドキドキする


 

第48回NHK創作の結果が出ているよー。

と、友人からLINEが届いた。

毎年NHK創作の一次審査の結果が出るのはこれくらいだ。

だいたい締切が終わって2週間後の週半ば。

まあいつも通り。

へえ、今年も出たんだね。って感じ。

結果は楽しみでもなければ、期待もしていない。

今年の創作では我流を捨てて執筆に取り組んだ

審査員目線に立ち、シナリオの基本を守り、感情ドラマを丁寧に描く。

正直、苦手な執筆だった。

もしこのコンクール業界に『才能』という言葉を作るのだとしたら、

この執筆形態を『得意とする』あるいは『好き』な人こそが才能のある人材だと言えよう。

感情ドラマの良さや面白さが分かっていても、それを上手に描けない人は大勢いる。

我凡人也故南無阿弥陀仏。

面白さが分かるだけまだマシとも言えるが、前述した言葉を引用するなら僕には微塵も『才能』がない。

ゆえに今作では稚拙なシーンが多く生まれた。

ぶっちゃけ見返すのも辛い。

それでも何とか形には出来た。

心の奥にある叫びや自分の中にある葛藤をドラマへと昇華する。

この最低目標は達した。

これで一次がダメならやらかしただけだ。荒削りなのだから。

でも通過していたなら?

これが人(コンクール)に伝わる面白さ(執筆)だったということだ。

今回の応募はそれくらいの心づもりだった。

得ても良し失っても気にしない。

ノーリスクハイリターン。

いきなり大賞!なんて奇跡はもう願わない。

一歩ずつ『面白い』の化けの皮を剥がして見てやるんだ。

よし。

 

結果を見に行くぞ。

 

……。

 

……。

 

名前あった

 

 

我流はいらない(Q.E.D)

 

結果だけ書く。

 

我流で描いたイキりまくりシナリオ通過率0%

苦手だけど一生懸命描いたシナリオ通過率80%↑

 

僕の創作術が後者の方が上手いという可能性がミドリムシ程度には存在しているが、

ほぼ我流=カスシナリオと言って良いだろう。

現実は残酷なのだ。

 

『面白い』ってなんだろうね。

 

複雑な気持ちはある。

我流はダメ。イキっちゃダメ。

あなたがどれだけ面白かろうと我々は面白くない。

そう突きつけられた辛さが込み上げてくる。

だが、ブログ読者にこれだけは一応伝えておく。

 

 

それでも通過は嬉しいぞ

 


 

コンクール、コンテストと呼ばれるものには様式美(書式のことではない)が求められる。

脚本コンクールも例外ではない、多分。

少なくとも僕の経験(結果)はそうだと言っている。0%通過は伊達じゃない。

ソースが『僕』ではあまりに申し訳ないが。

 

一次審査で落ちる人はめちゃくちゃ多い。いつも大体8割落ちる。

僕もよく落ちる。涙

でもその度に自分の面白いを否定されたと落ち込まなくていいと思う。

今日は皆にそれを伝えたい。

一次落ちしたからって

『自分には才能がない』とか

『生きる価値がない』とか

そこまで言わなくていい。

落選を人間性の否定にまで繋げる必要なんか一ミリもない。

 

まあかくいう僕も、最初の頃はめっちゃ凹みまくっていた。

シナリオ仲間にめちゃくちゃ心配されて、情けなくて毎日泣いていた日々もある。

1年間何のコンクールにも引っ掛からないスーパースランプ期だってあった。

それでも持ち直して今も執筆を続けている。通過率は年々上がってきた。

ではあの頃と何が変わったのか。

多分ほとんどの人が思っている答えと僕の思うそれは違う。

たとえば感性や価値観。

昔から何も変わっちゃいない。

人はそう変われないことをあなた自身よく分かっているはずだ。

続いて面白さや発想力。

これも何一つ変わっちゃいない。この辺は経験によるところが大きいのではないだろうか。

時間は皆平等に流れている。人はそれぞれが素敵な引き出しを持っている。

では人間的にはどうか。

僕はずっと僕のままだ。何も変わらない。

なんならこの間『中学生みたいな人だね』と言われた。

ちょっと前までは『大学生みたいな人』と言われてギリ大人を保っていたのに。。。

むしろ退化している。高校生どこいった

 

それでも結果は付いてくる。

小規模なコンクール(100~300作)で最終選考に進んだことも何度かある。

我ながら誇らしい。

でもこれは

『コンクールに適応していった結果』

でしかない。

才能だとかクリエイティビティだとか、そういうのはぶっちゃけ関係ない。

向上したとも思っていない。

『コンクーラーとしてのスキル』が身に付いた。

それだけだ。

※積み重ねてきた成果ではある。

 

 

一次審査で落ちたなら、あなたの思う『面白い』がコンクールで否定されたのは事実だ。

それは受け入れるべき。

でも、あなたの『面白い』は視聴率を取れる可能性を秘めている。

プロで通用する可能性だってある。

何も心配することはない。心からそう思う。

何なら僕は自分の『面白い』だってそう思っている。

コンクール下手だけどプロで分からせてやるぜ!!!!!

と、本気で思っている。

コンクール受賞=即戦力ではない。

プロでも転ける人だって大勢いる。

コンクールにはコンクールの戦い方があるし、それが実践的かと言われると100%正解だと僕はそう思わない。

前記事で言うVIVANTやトリリオンゲームのような神作品を、通過率の高いコンクーラーはコンクールに滅多に出さない。

 

落とされるから

 

そういうズルいところも含めて『コンクールに適応していくスキル』である。

 

 

ある程度割り切って力抜いて頑張っていこう。

 


 

たまーに見かけるコンクールでめっちゃ結果を出すことが出来る新人。

『あの人はすごい』

と、コミュニティで時折話題になったりもする。

コンクール応募を始めてまだ1年目なんですー。

みたいな人がどんどん結果を残していくあの現象。

僕の周りにもそういう人が何人かいた。

正直めっちゃ羨ましかったし、すげーなーと尊敬の念も抱いていた。

僕は振っても振っても空振りの三振量産マシーンだった。

でも実際は、

『コンクール審査とその人の面白いの波長が合っていた』

ただそれだけでしかない。

だから目の前の成功に悲観も嫉妬もする必要なんかない。

こういう人もいずれどこかで躓く機会が訪れる。

僕の周りだとスランプに陥る人が多い、かな?

プロになった後に躓くなんて起こったら最悪だ。

今躓いていることはむしろラッキーなのだと考えるべき。

今躓くか後から躓くか、その差でしかない。

プロでやっていく以上、遅かれ早かれ全ての『執筆術』や『面白い』を学ぶことになる。

適応出来なかったらどの道、華は開かない。

脚本家を神格化しちゃいけない。

あなたが彼らと同じステージに立つつもりがあるのなら、地道に一歩ずつ。

 

一歩ずつだ。

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